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“自分にあった仕事”の見つけ方…「クロネコヤマトの宅急便」創始者の仕事観

【連載】「あの名言の裏側」 第6回 小倉昌男編(1/4)目の前の仕事に惚れよう

どこかに「好きな仕事」があるのではなく、
目の前にある仕事を好きになれるかどうかが大事。
──小倉昌男

 日ごろ、当たり前のように利用している宅配便サービス。現在、民間の運送各社がしのぎを削り、サービス競争を繰り広げているこの領域は、40年前、ある経営者が立ち上がったことにより切り拓かれたものです。
 その経営者の名は、小倉昌男。ヤマト運輸の二代目社長を務め、「クロネコヤマトの宅急便」事業をスタートさせた人物であり、ヤマト運輸の“中興の祖”とも評される名経営者です。これから4回に渡り、小倉昌男氏の残した名言を紹介していきましょう。

写真:AP/アフロ

 1924年(大正13年)~2005年(平成17年)を生きた小倉昌男氏は、ヤマト運輸(旧・大和運輸)創業者である父・小倉康臣氏の跡を継いで、1971年に同社の社長に就任します。折からのオイルショックなども影響し、それまでヤマト運輸が展開していた大口輸送(企業の荷物を大量に運ぶ)が低迷。それを打開するために、小倉氏は個人の荷物を全国へと搬送する小口輸送事業への参入を決断するのです。
 しかし、事はそう簡単に運びませんでした。当時、全国規模の小口輸送は旧郵政省の手がける郵便小包の寡占状態。さらに運送事業は旧運輸省が監督する免許制だったこともあり、エリアや輸送路線が大きく制限されていました。トラック輸送を手がける運送業者は、利用する道路ごとに営業免許を取得しなければ、ビジネスを展開することができなかったのです。要するに、新規参入が難しい仕組みを構築し、既得権益層だけが守られるような環境をつくりあげていたわけです。

 そこに斬り込んでいったのが、小倉氏でした。「クロネコヤマトの宅急便」の全国ネットを実現するため、運輸省や郵政省に対して真っ向から異議を唱え、ついには官庁を相手に訴訟を起こすまでに至ります。
 そのあたりのいきさつは、次回以降で詳しく紹介していきますが、そうした理不尽や不公平に対して正面から反論し、臆することなく国家権力や既得権益に立ち向かっていく小倉氏は“反骨の経営者”“規制緩和の急先鋒”といった形で、次第に人口に膾炙されていくのです。

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漆原 直行

うるしばらなおゆき




1972年東京都生まれ。編集者・記者、ビジネス書ウォッチャー。大学在学中より若手サラリーマン向け週刊誌、情報誌などでライター業に従事。ビジネス誌やパソコン誌などの編集部を経て、現在はフリーランス。書籍の構成、ビジネスコミックのシナリオなども手がける。著書に『ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない』、『読書で賢く生きる。』(山本一郎氏、中川淳一郎氏と共著)、『COMIX 家族でできる 7つの習慣』(シナリオ担当。伊原直司名義)ほか。

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