「投手陣の調子を数値に換算」長嶋野球は、意外にも“データ野球”だった
真説・長嶋茂雄
■数字とアナログ感覚のバランス
数字を重視した長嶋監督。しかし、もちろん数字だけに頼っていたのではない。こんなふうに語ったこともあった。
「結局野球はケンカのようなもんだ。人間対人間の戦いですよ」
「打席に入る時は、ゲートで激しく足踏みする奔馬のような気持ちになるべきなんだ」
つまりは「数字は野球では無視できないが、数字が野球のすべてではない」ということだった。
たとえば、相手投手と巨人の各打者との対戦成績はしっかり把握しているが、試合毎の代打の起用は、試合前の練習を自らじっくり観察することで決めた。
その観察方法も、バッティングケージの後ろから見るだけという単純なものではない。セカンド後方から、あるいは外野をジョギングしながら、時にはスタンドに座って見ることもあった。
真夏の強烈な日差しを楽しみながら、一塁側スタンド内野C席のあたりに座って、よく選手の動きを観察していた。フッとなごんだ顔になって、こんな昔語りをしたことがある。
「中学生のころは、ほら、外野席のあの辺でよく巨人戦をみたもんだよ。そのころから、大きくなったら満員のお客さんを沸かしてやろうなんて考えてたもんだ」
もっと意外な場所も指定席となっていた。一塁側ベンチの横に半地下の放送室があり、休憩を装ってそこに陣取りながら、視線は鋭く選手の動きを追っているのだ。もちろん選手はだれ一人気付かない。観察されているとは知らないから、普段監督の前では見せない動きを見せてしまうこともあった。
ウグイス嬢の務台鶴さん(故人)や山中美和子さんたちは、いつもそんな監督のためにお菓子を用意して待っていた。彼女たちとの雑談を楽しみながら、その視線はチラッ、チラッとグラウンドに飛んでいる。
ある選手が打撃練習をしている。タイミングの取り方が悪くなったと見るや、「渡辺真知子の何とかが翔んだって歌ねえ。あれリズミカルだからかけてやってよ」と注文が飛ぶ。
また、長嶋監督はこんな言い方をしたこともあった。
「いまの野球は8割方やることは同じで、あとの2割はチーム事情に応じたことをやる。その2割で失敗すればクソミソに言われるんだ」
長嶋野球は特にその2割が良きにつけ、悪しにつけ反響を呼んだ。バスターの多用。九回二死一塁からの単独スチール。無死一、二塁でのエンドラン。スリーバント・エンドラン…。
川上時代のヘッドコーチ、牧野茂氏(故人)は当時評論家として長嶋批判の急先鋒に立ち、
「若い監督に言いたいことがある。セオリーは時代に応じて変わるが、それでも野球には基本的にやってはならないことがある」とまで言い切った。
その牧野氏にしても、昭和五十一、二年の連続リーグ制覇の際には長嶋野球をベタほめしていたものである。「2割で失敗すればクソミソに言われる」とは、まさに当時の長嶋監督の実感だったろう。現役時代が称賛に包まれていただけに、一転批判のさらしものとなる身はいかに辛かったことか。ある大敗の試合後、後楽園を出て迎えの車まで歩く途中、残酷な少年ファンにこんな声を掛けられたことがあった。
「負けた気持ちはどうですか」
自宅にはやけ気味の巨人ファンから電話がかかってくる。電話帳には載せていないのにどこで調べてくるのか、嫌がらせ電話は尽きなかった。だから前回の監督時代、長嶋家の電話番号は再三変更された。
※江尻良文他著『真説・長嶋茂雄』(ベストセラーズ)より抜粋
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