知らない人間に出会うために、一人でどこかに出かけたくなる理由【神野藍】
神野藍 新連載「揺蕩と偏愛」#4
■私が私でいるために
私のことを聞かれるのに疲れたときに、どこかへの切符を手に入れようとする。近すぎるのは良くない。既に見知った人がいる確率はできる限り低くしておきたいと思ってしまう。朝に飛び出して、その日の夜に帰ってこられるような場所、結局私はまた京都へと足を延ばしてしまう。
誰かとの旅行の帰り道はさびしくなるのに、一人で出かけた帰り道は寂しくならない。最終の新幹線に身を任せながら、私に戻る準備をする。通知だけ確認して、わざと止めていた連絡を一件ずつ返していき、少しずつ勘を取り戻していく。友達からの他愛のない日常の話、遊びの誘い、仕事相手からの会食の誘い。通知の数が減っていくと同時に、非日常と日常の境目でゆっくりと気持ちが変化していく。
またしばらくは私のままでいることができそうだ。
次はどこに行こう。そろそろ違うところに行きたい。でも、行き先探しを頑張れる気がしない。徐々に画面の中に流れる話題に視線が追いつけなくなり、身体の中で溶け切ったアルコールが私を眠りへと落としていく。最後にペットボトルに残った温い水を身体の中に注ぎ込むとすぐに、私の力が尽きた。
家のドアを開けると、部屋の奥からチャッチャッと床と爪が擦れる音が徐々に近づいてくる。茶色の温もりが私の足の周りをぐるぐると回っている。触れると尻尾の振り幅がぐんと増した。バッグの中からお土産を取り出す。最近、どこに行っても「おうちで待っているワンちゃん・猫ちゃんへ」という謳い文句が増えた気がする。自己満足の罪滅ぼしだが、何もないよりはこの子の機嫌を取れる。
そして、ただいまと声をかける。それは小さな家族にも、いつもの私にも。
文:神野藍
(新連載「揺蕩と偏愛」毎週金曜日午前8時配信)
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✴︎目次✴︎
はじめに
#1 すべての始まり
#2 脱出
#3 初撮影
#4 女優としてのタイムリミット
#5 精子とアイスクリーム
#6 「ここから早く帰りたい」
#7 東京でのはじまり
#8 私の家族
#9 空虚な幸福
#10 「一生をかけて後悔させてやる」
#11 発作
#12 AV女優になった理由
#13 セックスを売り物にするということ
#14 20万でセックスさせてくれませんか
#15 AV女優の出口は何もない荒野だ
#16 後悔のない人生の作り方
#17 刻まれた傷たち
#18 出演契約書
#19 善意の皮を被った欲の怪物たち
#20 彼女の存在
#21 「かわいそう」のシンボル
#22 私が殺したものたち
#23 28錠1シート
#24 無為
#25 近寄る死の気配
#26 帰りたがっている場所
#27 私との約束
#28 読書について1
#29 読書について2
#30 孤独にならなかった
#31 人生の新陳代謝
#32 「私を忘れて、幸せになるな」
#33 戦闘宣言
#34 「自衛しろ」と言われても
#35 セックスドール
#36 言葉の代わりとなるもの
#37 雪とふるさと
#38 苦痛を換金する
#39 暗い森を歩く
#40 業
#41 四度目の誕生日
#42 私を私たらしめるもの
#43 ここじゃないどこかに行きたかった
#44 進むために止まる
#45 「好きだからしょうがなかったんだ」
#46 欲しいものの正体
#47 あの子は馬鹿だから
#48 言葉を前にして
#49 私をほどく
#50 あの頃の私へ
おわりに