バブルの混沌と『SPY』と『03』【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」14冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」14冊目
そんなある日、連載担当していたいしかわじゅん氏の事務所に原稿を受け取りに行ったときのこと。「今、こんなのやってるんだけどさあ」と見せてくれたのが、とある雑誌のマンガ特集内の企画「現代日本漫画体系 人名辞典篇」だった。人気マンガのキャラクター100人を解説する事典風の記事で、その監修(キャラの選定と執筆者のとりまとめ)を同氏が担当していたのだ。
そこで「新保くんも何か書く?」と言われ、「書きます書きます」と二つ返事で引き受けて、何人か分の解説を書いた。執筆者クレジットも入るというのだが、一応社員編集者の立場で他社の雑誌に名前が出るのもどうかと思い、「なんか適当な名前入れといてください」とお願いして、できた雑誌を見たら「南信長」となっていた。いしかわ氏はもとより、吾妻ひでお、江口寿史、杉作J太郎、高取英、とり・みき、村上知彦、吉田戦車、米沢嘉博……といった豪華執筆陣の中では当然一番無名だったが、今もマンガ関連の仕事で使っているペンネームは、このときいしかわ氏によって命名されたのである。
「南信長」デビューとなったその雑誌の名は『03』。新潮社より1989年に創刊された。タイトルロゴに「TOKYO Calling」の文字が組み込まれていることからもわかるように、東京23区の市外局番から取った誌名である。キャッチコピーは「TRANS-CULTURE MAGAZINE」。コンセプトとしては、東京発の多文化混合雑誌ということになろうか。創刊号(89年12月号)の特集は「ニューヨークに未来はあるか」。表紙は当時『ドゥ・ザ・ライト・シング』で一躍脚光を浴びた映画監督のスパイク・リーだった。ローリー・アンダーソン、山本耀司、久保田利伸、いとうせいこう、高城剛、高木完、藤原ヒロシ、山田詠美らが登場する誌面はバブル的エネルギーに満ちている。

2号目の特集は「香港遊撃旅団」、3号目は「ロンドン 90年代の音楽工場」、4号目は「パリ 新世紀の三色旗」……といった具合で、創刊1周年記念号(90年12月号)が「東京 暴走する怪物都市」ときた。その特集の扉には次のような文言が躍る。
〈虚飾と破壊とが産み出したとされるこの怪物は、一瞬たりとも静止することなく、あらゆる物を呑み込みながら果てしなく膨張を続け、今や太平洋の向こう側にまでその鼻息が届くという噂だ。異常な地価という下半身に支えられ、国際情報都市という頭を持つ怪物は、どこへ行こうとしているのだろう。新宿の夜空にグロテスクな姿をさらけ出す新都庁は、怪物都市滅亡のシンボルか、はたまた新たなる繁栄の序曲なのか?〉
さすが「23区の土地代でアメリカ全土が買える」と言われた時代だけのことはある。『03』という東京を象徴するタイトルを冠したのも“トーキョー・アズ・ナンバーワン”の意識があったからに違いない。そういえば今の都庁ができたのもこの頃だった。コロナ禍全盛のときには赤く染まり、今はお粗末なプロジェクションマッピングに彩られている都庁。引用文末尾の問いの答えは言うまでもないだろう。
この創刊1周年記念号以降、同誌の特集テーマは都市を離れ、サブカル化していく。「ロックは死んだか?」(91年1月号)、「SEX―もっと深く!」(2月号)、「映画 日本映画―最後の反撃」(4月号)、「革命的ファッションの逆襲」(5月号)、そして「緊急指令065257号 越境せよ!」(6月号)では麻原彰晃と荒俣宏の対談が話題を呼んだ(この時期、同誌に限らず多くのメディアが麻原彰晃をカリスマ扱いしていたことは忘れてはならないし、今も同種の過ちを犯していないか自戒せねばなるまい)。
前述のマンガ特集は1991年9月号。猪瀬直樹による梶原一騎論に始まり、呉智英による手塚治虫論、小林よしのり×えのきどいちろう対談、PANTA×かわぐちかいじ対談、榎本俊二×吉本ばなな対談、「ジャンル別・これがマンガの最前線」など盛りだくさんの内容だ。梶原一騎論の見開き扉は、根本敬が『巨人の星』や『あしたのジョー』のキャラをボディペインティングした女体写真だし、中嶋朋子が吉野朔実、松苗あけみ、小椋冬美のキャラクターに扮した撮り下ろしのグラビアもあり、お金がかかってる感じがする。