バブルの混沌と『SPY』と『03』【新保信長】新連載「体験的雑誌クロニクル」14冊目
新保信長「体験的雑誌クロニクル」14冊目
さらに、1990年12月号で同誌は2度目のリニューアルを迎える。ビジネス色はほぼなくなり、前述のキャッチコピーも消えた。ジャンルとしては、カルチャー誌ということになるだろう。最初の号こそ社長下命のテーマで「珈琲生活=コーヒーのある場所から」と、それまでのテイストを引き継いでいるが、その後は「詐欺師の研究 世界は詐欺師を待っている」(91年1月号)、「相撲の研究 肉体無限世界への旅立ち」(2月号)、「荒俣宏の研究 7つの顔の男だぜ!」(3月号)、「写真 フォト・エゴイズム」(4月号)、「ハーレイダビッドソン大図鑑」(5月号)、「手塚治虫の研究 神の眼と虫の眼」(6月号)、「ジャガーを愛する人々へ 豹の解剖学」(7月号)、「UFOの研究 混迷を深める今世紀最大の謎」(8月号)、「SEX解放宣言 逸脱した性の悦楽」(9月号)と何でもアリ状態に(ただし5月号と7月号は広告がらみの案件)。
上記のうち私が担当した特集は「珈琲」「詐欺師」「写真」「手塚治虫」の4本だが、とにかく会いたい人、原稿や写真をお願いしたい人に片っ端からアプローチしている。たとえば「詐欺師」では、種村季弘、中沢新一、中島らも。「写真」では、半沢克夫、久留幸子、今道子、森村泰昌、荒木経惟、赤瀬川原平、久住昌之、みうらじゅん、松尾貴史。「手塚治虫」では、山口昌男、養老孟司、赤坂憲雄、鎌田東二、上野昻志、豊田有恒、米沢嘉博、村上知彦。同特集では、漫画家32人にアンケートもお願いした。

特集だけでなく連載エッセイや巻頭コラム、文化欄も担当していたので、そこでも好き放題やった。連載では、えのきどいちろうの写真日記「東京スパイ」、文:板橋雅弘・写真:岩切等による廃墟ルポ「失楽園物語」、いしかわじゅんの世直し(?)コラム「怒髪天衝(どはつてんつく)大画報」など。湯村輝彦のシリーズ連載「滅びゆく我が肉体、哀れ」というのもあった。巻頭コラムや文化欄では、青山南、萩原朔美、寺崎央、ナンシー関、三留まゆみ、押切伸一らに執筆してもらっている。
バブル期にもかかわらず予算は(今考えればありえないほど)僅少だったので、自分で書くページが大量にあった。文化欄の演劇や美術、本の紹介などは、複数のペンネームを使い分けて毎月何本も書いていた。もちろん無記名の原稿も多数。別に自分で書きたかったわけでなく、基本的に予算節約のため(自分で書けばタダなので、その分ほかのページにお金をかけられる)だったが、そこで筆力が鍛えられた面もある。
気になる雑誌の編集長インタビューの連載もやっていて、【13冊目】でちらっと出てきた『クレア』編集長のインタビューはセルフ引用だ。ほかに『CUT』渋谷陽一、『NAVI』鈴木正文、『QA』石川順一、『COMIC BOX』才谷遼、『Number』設楽敦生といった人たちにも取材した。
何しろ仕事量が多く、毎月入稿時期の3日は完徹だった。それでも、まだ若かったので何とかなったし、自分が読者として好きだった人々と仕事ができるのがうれしかった。そうしたつながりがフリーになってからも大変役に立っている。