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「何度やられても、諦めなければ負けじゃない」デビュー22年でIWGP頂点に立った後藤洋央紀の大逆転人生

■タッグ戦線で取り戻した自信

 自分を変えるためにCHAOS入りしたが、今までの状況を打破できず、時だけが流れてしまった。しかし、後藤の周りは少しずつ変化を見せていく。

 きっかけは2020年に行われた、NEVER無差別級6人タッグトーナメント優勝からだ。決勝戦でオカダ、矢野通、SHO組を下して、新たな勲章を手に入れると、YOSHI-HASHIをパートナーにタッグ戦線へと足を踏み入れる。同年12月に行われた「WORLD TAG LEAGUE」では結果が出なかったものの、翌21年の同リーグ戦で初優勝を果たす。

 22年の東京ドーム大会ではIWGPタッグ王座に挑戦して見事に勝利。王者と覇者の二冠王となった。EVIL・高橋裕二郎組に初防衛を果たすと、NEVERの時のように多彩な相手と名勝負を展開していった。同年の「WORLD TAG LEAGUE」も優勝して二連覇を達成した。

 翌年も「WORLD TAG LEAGUE」を制し、前人未到の三連覇を達成。並びに新日本プロレス史上初のIWGPタッグ王者によるリーグ戦制覇を成し遂げた。この偉業で後藤・YOSHI-HASHI組は新日本を代表する名タッグと名を馳せることになる。

「タッグで結果が出たくらいから、ようやくシングルにもう一度挑もうって気持ちが浮かんできました。IWGPタッグのベルトも獲ったし、実績も積み重ねてきたことで自信も蘇ってきましたね。でも、今まで8回IWGPに挑戦して一度も獲れなかった。言わば会社の期待を裏切り続けてきたわけですよ。だから、おいそれとは『IWGPに挑戦したい』とは言えませんでした。このままIWGPのベルト巻けないまま引退するかもなんてぼんやりと感じていたこともありました。でも、タッグで結果を残したら挑戦してもいいかなっていう気持ちが芽生えてきたんです」

 自信と気力みなぎる後藤は、再びIWGP戦線へと目を向ける。同時期に「IWGP世界ヘビー級のベルト」を見せてあげたい存在もできた。2024年2月に亡くなった父だ。プロレスラーになることを反対してきた父の遺影に覇者としての印をたむけとしたい。

 

▲タッグで結果を残した後藤は再びベルト獲りへと動き始める

 

 まず「NEW JAPAN CUP」に挑戦した。

 トーナメントにエントリーした後藤は、破竹の勢いで勝ち進み決勝戦を迎えた。相手は新日本プロレス期待の若手選手でもある辻陽太。一進一退の攻防を見せる両者にファンは応援の声を送り続けた。最初は辻への声援が大きかったが、試合終盤は「後藤コール」が「陽太コール」を上回った。勝利はつかめなかったが「後藤洋央紀復活」を印象付ける戦いであった。しかも「東京スポーツ新聞社制定2024プロレス大賞supported byにしたんクリニック」で年間最高試合賞を受賞するほど評価された。

 

「この年の『NEW JAPAN CUP』はコンディションも良かったんですよ。それ以上に親父が亡くなったばかりで、懸命に戦っている自分の姿を見せたいって思いが強かったです。お客さんも俺の思いを後押ししてくれた。それがあの『後藤コール』につながったんだと思います。今でもすごく印象深いですね。本当に嬉しかったですよ」

 後藤への期待はしぼまなかった。同年の「G1CLIMAX」にもエントリー。優勝戦に残れなかったが、全国各地で一番大きな声援を浴びたのは後藤洋央紀である。8年前はファンに嘲笑されていた男が、最も支持されるプロレスラーへ変わっていった。

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篁五郎

たかむら ごろう

1973年神奈川県出身。小売業、販売業、サービス業と非正規で仕事を転々した後、フリーライターへ転身。西部邁の表現者塾ににて保守思想を学び、個人で勉強を続けている。現在、都内の医療法人と医療サイトをメインに芸能、スポーツ、プロレス、グルメ、マーケティングと雑多なジャンルで記事を執筆しつつ、鎌倉文学館館長・富岡幸一郎氏から文学者について話を聞く連載も手がけている。

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