遠藤航が感じた浦和の歴史。優勝の裏側にあったキャプテンの気遣い、PK戦での攻防 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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遠藤航が感じた浦和の歴史。優勝の裏側にあったキャプテンの気遣い、PK戦での攻防

ルヴァンカップ優勝、PK戦の裏にあった秘話

■「後悔したくない」思いが勝利を導く

 実際、阿部さんだけでなく、多くのチームメイトはこの「タイトル」に対して並々ならぬ思いを抱いているのを加入以来感じていました。それはサポーターのみなさんからも同じです。
 PKを蹴る順番を決めるとき、チーム全体にあったその思いが強く表れていました。選手たちは次々に挙手をし「蹴る」意欲を示していた。根底にあったのは、AFCチャンピオンズリーグFCソウル戦でのPK戦による敗退でした。
(興梠)慎三さんやチュン(李忠成)くんは、あの試合でPKを蹴らずに負けてしまい後悔をしたと言っていました。だから、絶対蹴る。その思いが勝利に結びついたと思います。
 結果として僕が決めて優勝することができたわけですが、実はそれ以降――6番手、7番手の選手たちも蹴ることに強い意欲を示していました。
 
 面白かったのは槙野(智章)くんです。槙野くんは早々に蹴ることを主張していたのですが、5番手までに選ばれず、6番目に蹴ることになっていました。けれど、チュンくんが、「マキとモリ、代われ」と一言。それによって7番手に……。絶対に負けたくなかったチュンくんは、どうやらACLでもPKを決めるなど信頼があり、確率の高いモリ君を選んだようです(笑)。

 ちなみにここだけの話ですが……(笑)、チュンくんはPK戦の途中、ガンバの呉屋選手が外した後、「順番かわる?」と僕に声をかけてきました。決める自信があって、5番手のほうが目立つと思ったからじゃないかと推測しています。
 5番手で心の準備をしていた僕はさすがに「いや、ちょっと無理です」と答えましたが、試合後に、チュンくんから「変わらなくてよかったねー」と言われたとき、僕はチュンくんがMVPを取れてよかった、とほっとしたことを覚えています(笑)。

 この後、リーグ戦でも勝利を重ね、セカンドステージ制覇も決めることができました。僕にとって苦しかった8,9月。それを乗り越えた先にあった10月。レッズに来て、本当にいい経験をさせてもらっています。
 次は年間勝ち点1位、そしてチャンピオンシップへ――。天皇杯もありますし、できるだけタイトルを獲って新しいレッズの歴史を作っていきたい、そう思っています。

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遠藤 航

えんどう わたる

浦和レッズ

1993年2月9日生まれ。神奈川県横浜市出身。

2008年に湘南ベルマーレユースへ加入すると、2010年には2種登録選手としてJ1で6試合に出場し1得点。翌年に、正式にトップチームへ昇格、主にセンターバックとして活躍する。各年代の日本代表にも招集され、リオ五輪を目指すU-23代表では主将を務め、リオ五輪代表出場権を勝ち取った。2016年シーズンより浦和レッズに移籍。



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