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なぜ、日本はアジア各国から期待されているのか?(ある国とある国とある国は除く・・・)

「第二次世界大戦」で、植民地を解放した日本

「歴史戦」が苦手な日本が、弱肉強食の国際社会の中で生き残っていくためには、冷静に歴史を検証し、他国がどう日本をみているのかを知る必要があります。人気論客二人(高山正之×川口マーン恵美)が語る、日・米・独の歴史。新刊発売記念・短期連載第4回目(ラスト)のテーマは、『第二次大戦の日本の功績と西洋列強の没落』です。

「第二次世界大戦」で、植民地を解放した日本

髙山 ドイツの大敗北が結果としてナチスを生み、2度目の世界大戦へ突入するわけですが、第二次大戦をめぐる「歴史認識」の問題は、現在の政治情勢とも密接に関わっています。単なる「過去」の問題として済ませられないという点がまず重要です。

川口 第二次大戦前に、アメリカが大国としていよいよ台頭し、太平洋から東アジアに進出してきましたね。

髙山 でも、マッカーサーはこう言っています。「日本による真珠湾攻撃の後、ルーズベルトはヨーロッパ戦線に集中して、太平洋戦線をずっと置き去りにしてきた。対日戦はほったらかされて、日本軍に袋だたきになった」と—。

川口 それは、信じられませんね。ルーズベルトは明らかに日本を挑発していましたから。

髙山 おっしゃる通りで、これは己の失敗を取り繕った嘘です。1941年の時点で、アメリカの日本対策は、もうバッチリできあがっていましたからね。

 例えば、アメリカはこの時点で戦略爆撃機「B−17」、通称「空飛ぶ要塞」を太平洋に40機近く配備しています。「B−17」はさすがのドイツ空軍の戦闘機でも落とせなかった頑丈で爆撃機の枠を超えた速度と攻撃性を備えていました。

『メンフィス・ベル』というハリウッド映画がありましたが、あれは対独爆撃に向かうB−17の搭乗員たちを描いた作品です。

 25回出撃すると休暇で後方に帰還できるのですが、その最後の25回目の出撃で無事に帰ってこれるかという話です。もちろん無事に帰ってくるのですが。すごいのは、主人公たちのB−17「メンフィス・ベル」の操縦席の脇には8つの星がついていた。これは迫ってくる「メッサーシュミット」や「フォッケウルフ」といったドイツ軍戦闘機を撃墜した数なんです。

 爆撃機は速度が遅く、動きも鈍く、身軽な戦闘機には敵わないので、護衛の戦闘機をつけます。アメリカ軍が執拗に硫黄島の奪取にこだわったのも、B−29爆撃機の護衛戦闘機の航続距離の範囲内に東京が入るようにするためだった。B−17は戦闘機を逆に落としてしまうという恐ろしい爆撃機でした。

川口 これでは、「日本戦はドイツ戦の片手間だった」とは言えませんね。

髙山 その通り。そして、イギリスはイギリスで、マレー半島にはシンガポール要塞を持ち、周辺には「プリンス・オブ・ウェールズ」や「レパルス」などの戦艦と巡洋艦からなる「東洋艦隊」を派遣していました。

川口 それだけ用意すれば、日本はどうにかなるだろうというが米英の目論見だったわけですね。

髙山 ところが、開戦直後の「マレー沖海戦」で、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスが日本航空隊に沈められてしまいます。チャーチルがこれに大きなショックを受けたことは有名ですが、それは当時、飛行機が船を沈めるということはあり得ないとされていた。常識を超えていたワケです。

 この時点ではまだオランダを含む太平洋戦線の連合国艦隊は生き残っていましたが、これも「バタビア海戦」などで日本海軍にほぼ全滅させられた。シンガポールやフィリピンの要塞も落ちてしまいます。フィリピンには約10万のフィリピン兵と3万のアメリカ兵がいたのですが、上陸してきた4万の日本兵に敗れます。インドネシアのバンドン要塞にも数万ものオランダ軍がいたのですが、少数の日本兵の前に降伏してしまいました。

 この過程でアメリカ軍としてもショックだったのが、無敵のB−17が開戦2日目に「零戦(ゼロ戦)」に落とされてしまったことでしょう。以降も撃墜が続き、結局、1942年にB−17は全機引き揚げ、安全な欧州戦線に移されてしまいました。

川口 それは知りませんでした。

髙山 この話は日本の第二次大戦史にはほとんど出てこないのですが、アメリカ側の資料、例えばマイケル・シャラーの『マッカーサーの時代』には記述があります。

川口 落ちないはずのB−17が落とされた—。アメリカがショックを受けたのもうなずけます。でも、それを英雄の映画にしたところが執念ですね。

髙山 最初のマッカーサーの嘘に戻りますが、アメリカは太平洋をほったらかして欧州に行ったのではなく、日本を数ヶ月で黙らせてしまう予定だった。それが、日本軍の驚異的な強さのせいで予定が狂った。そして、アメリカが手をこまねいているうちに、日本は太平洋の欧米の植民地をあっという間に占領したのです。

 アメリカは膨大な物量と徹底した日本研究によって、最後にやっと日本をやっつけるわけですが、それまでの3年以上もの間、アジアは日本の手にゆだねられていました。そのことが、戦後のインドネシアやビルマの独立につながっていく—。

川口 9月、稲田防衛大臣がミャンマーを訪れた時も、セイン・ウィン国防相がそれに触れ、「日本と旧日本軍による軍事支援は大きな意味があった」と感謝したそうです。「日本がアジアの植民地解放に努力していた」というのは、日本が学校で教えない歴史です。

髙山 そして、ヨーロッパは結果的に植民地の富を失ったため、元の「貧乏国」に戻ってしまったのです。

川口 貧乏国! そうですか(笑)。

髙山 貧乏国に戻って「どうしよう、どうしよう……」とさんざん考えた結果、「貧乏国同士で互助会を作りましょう」ということでできたのが「EU」だと思います。

 そのEUの盟主になったのは、一足先に植民地を失って自立していたドイツです。第一次大戦で植民地を全部失っていたため、他の国よりも〝貧乏慣れ〟していたので経営能力もある。ということで、EUのリーダーにドイツがなるのは当然の帰結だったということです。 <WEB連載了>

 

*『日・米・独―10年後に生き残っている国はどこだ』 高山正之×川口マーン恵美(KKベストセラーズ)より抜粋

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