AI、CD、ビートルズ。近田春夫の予言と音楽の未来【近田春夫×適菜収】新連載「言葉とハサミは使いよう」第2回
【近田春夫×適菜収】新連載「言葉とハサミは使いよう」第2回
音楽業界も激動の時代を生き抜いてきた。ビジネスモデルが変化する中、波に飲まれて消えていった連中もいれば、ローリング・ストーンズのようになにも変わらないことで生き抜いてきたミュージシャンもいる。20世紀末の時点で、音楽はいずれタダになると予言していたミュージシャン近田春夫氏と近代大衆社会の末期症状を描き出した『日本崩壊 百の兆候』(KKベストセラーズ)が絶賛発売中の作家適菜氏による異色対談の後編。新連載「言葉とハサミは使いよう」第2回。

適菜:先日、成田悠輔という人物がこんなツイートをしていました。「人は音楽にお金を使わない。ライブ、ストリーミング、CDなど含む全音楽の全世界の売上は年間10兆円以下らしい。この売上は三菱商事1社より小さい。ちっちゃなパイを無数の天才が奪い合ってる血の海が音楽という市場」。
近田:音楽は、ビジネスのジャンルとしてはずいぶん縮小しちゃったってことですね。
適菜:私は大学生時代に渋谷でアルバイトをしていたので、仕事が終わるとその足でディスクユニオンとレコファンに立ち寄って中古CDを買うのが楽しみだったんです。自分の部屋のラックにCDが溜まっていくのがうれしかった。
近田:適菜さんの大学時代というと、90年代半ばってことだよね。
適菜:ええ。ところが、サブスク時代の今になってみれば、CDなんて邪魔でしょうがない。20年くらい前にCDはほとんど処分したのですが、つい先日引っ越しした際には、部屋に残っていたCDも二束三文で全部売っ払っちゃいました。もう、とにかく物はできるだけ減らしたい。
近田:もはや、フィジカルなCDを購入するのは、相当コアなファン以外にいない。つまり、消費という行為は、忠誠心の証明となってしまった。秋元康が導入したAKB46の握手券商売ってのは、フィジカル時代の終わりに打ち上げられたド派手な花火だったんだと思うよ。
適菜:CDは最後のメディアになると思っていましたが、外れました。音楽が単なるデータとしてウェブに飲み込まれるとは、昔は考えてもいませんでした。
近田:時代は変わるよね。でも、俺は、20世紀末の時点で、音楽はいずれタダになるって予言してたんだよ。インターネットの現状に鑑みれば、それが事実上、達成されちゃったことは分かるでしょ?
適菜:ええ。ほとんどの楽曲の音源は、Youtubeなどを探せば、どこかに転がっている。
近田:さらにいえば、音楽って、聴くよりも作る方が楽しいじゃん。そのために必要なソフトウェアが廉価あるいは無料になったり、わざわざ録音スタジオを手配する必要もなくなったりして、音楽制作の民主化が進み、世間では、リスナー指向よりクリエイター指向が高まった。それは、コンピュータが誕生した時点で決まっていた運命だったんじゃないかと思う。
適菜:これは原点回帰なのかもしれませんね。音楽が媒体に記録されて商品になること自体、それほど長い歴史があるわけではないのですから。音楽のみならず、動画におけるYouTuberの大発生というのも、同じ文脈ですよね。
近田:そうそう。まったくその通り。今、若い子は、テレビなんかろくに観ちゃいないもんね。でもさ、自分たちの手がけた成果物が採算につながるかどうかは、よっぽど本格的に事業化を狙っている向き以外には関係ない。単に、作ることそれ自体が楽しいってことでさ。TikTokなんてその最たるもんでしょ。
適菜:近田さんは、AIについてはどんな考えをお持ちですか。