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ルイス・フロイスもビックリ!岐阜城の豪華さ

城下は楽市楽座で賑わった・岐阜城 第3回

織田信長肖像画(写真提供/アフロ)

 

天下統一を目指す過程で、最もTPOに適した場所に城を移していった信長。先進かつ合理的だった移転の狙いとは? 歴代の居城をたどってみる。

 

岐阜城が築城された当時の様子を伝えるものとしては、宣教師ルイス・フロイス(注)の書簡や『言継卿記(ときつぐきょうき)』しかない。

永禄12年(1569)の夏、京で伴天連(ばてれん)追放の綸旨(りんじ)が発せられたため、救いを求めに岐阜城の信長を訪ねたフロイスの記述によれば、ポルトガルやインド、日本の他の地域で見てきた宮殿や居館の中でも精巧かつ豪華ですぐれたものと言い、信長の宮殿は非常に高い山の麓にあるとした。

館の外側には石垣があり石はとても大きく、入口には儀礼や演劇を行うような屋敷があり、1階には15か20の座敷、縁の外には庭が5つ6つあり魚がそこを泳ぎ回っていた。また、さまざまな花や草木が、池の中央にある鮮やかな石に生えていたとした。

また、宮殿の2階には、信長の奥方や侍女達の部屋があり、町の側にも山の側にも縁と見晴らし台があった。山の高さに達する3階には、たいへん静かなところに茶室がいくつかあったとした。3、4階の見晴らし台と縁からは町屋が一望できたとも記している。これらはすべて麓の御殿の記述と考えられる。(続く)

 

(注)1532~97年 ポルトガルのカトリック司祭、宣教師。永禄6年(1563)来日し、イエズス会士として日本での布教活動を開始。織田信長や豊臣秀吉らと会見し、戦国時代研究の貴重な資料となる『日本史』を記した。

 

●岐阜城データ
城の種類/山城
所在地/岐阜県岐阜市天主閣18
築城年/建仁元年(1202)
施設/御殿、本丸、櫓、土塁、堀

 

文/木戸雅寿(きど・まさあき)

1958年神戸市生まれ。奈良大学文学部史学科考古学専攻卒業。広島県草戸千軒町遺跡調査研究所、滋賀県安土城郭調査研究所を経て、現在滋賀県教育委員会文化財保護課。専門は日本考古学。主な著書に『よみがえる安土城』(吉川弘文館)、『天下布武の城 安土城』(新泉社)等。

 

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