◆女性のもうひとつの特異性

斎藤 私が女性のひきこもりに注目した理由のひとつに、「母・娘関係」があります。『母は娘の人生を支配する―なぜ「母殺し」は難しいのか―』(NHK出版/2009年)という本を出しましたけれども、それはあるひきこもり当事者の女性から、ひきこもりといっても母と娘というのはかなり特殊な世界なので、それについての本を書いてもらえないかとリクエストがあったためもあるんですね。母に支配されてきた娘と、その娘による反撃みたいな話です。そういったかたちでこじれていく人は相当数いると思いますし、特に娘がひきこもっている場合にはすごく凝縮されたかたちであらわれるという印象を持っています。

 池上さんの主催したイベントでも「母と娘」を取り上げたとか。このテーマだったというのは、何か理由があるんですか?

池上 主催というより、ボランティアのスタッフとして関わっている「ひきこもりフューチャーセッション庵IORI」という多様な人たちの集まる対話の場で、当事者の方から「母と娘の関係」というテーマでセッションしたいというリクエストがあったのです。すると、実際、テーブルに座った20何人くらい全員が女性でした。どういうやりとりをしていたかについては、別のテーブルの担当だったため、把握できていませんが、またぜひ女性をテーマにしたテーブルは継続的に設けてほしいというリクエストも多く、かなり深い問題が水面下にあるように感じました。「毒親」っていう言葉もありますよね。

斎藤 そうですね。最近そういった当事者による毒母本がよく出ていますけど。『母は娘の人生を支配する』はけっこう早い段階で出版されています。その後、毒親講演会などに呼ばれたりもしましたが、結局ひきこもりかどうかにかかわらず、母との関係に息苦しさを感じている女性は非常に多い。一方で、そのことを指摘すると怒る人もいっぱいいるということがわかりました。わりと旧来の価値観が強い人ですと、「育ててもらってきたのに親の悪口を言うとはなんということか!」みたいな。そういう旧来の親子関係に信頼が厚い方々からすると、「毒母」なんてとんでもない言葉だという脊髄反射が返ってきます。

 ただ、支配が息苦しいのが事実ならば、罪悪感を乗り越えてそれを断ち切るためにちょっと強い言葉を使わないと難しいと思います。当事者ですら自覚がない人が多いので。一種のカウンターですよね。だから「逃げ出してもいいんだよ」じゃなくて、「毒なんだから逃げるべき」と、強力に言わないと逃げられないという問題があるな、と感じましたね。ひきこもりの人は逃げられませんからね、そもそも。

 

池上 実際にかかわったケースですが、長年ひきこもっていた女性で、家族から否定的なプレッシャーを心身に受け続けてきたため、本人も「早く家を出て、自立した生活を送りたい」と願っていました。そこで、そんな現状を打開するために、支援団体にも手伝ってもらい、家出のようなかたちで飛び出したんです。その彼女は、ひきこもり期間が長かったので、いきなり仕事に就くのは不安があって難しいと訴えていたこともあって、まずは社会に慣れるということが必要だと思っていました。

 ところが、精神疾患や発達障害者向けのグループホームには環境的になじまず、支援団体が運営する施設での共同生活のメニューにも、急激に頑張り過ぎて疲れしまったようで、だんだんまた家に戻りたいという感じになってしまって、結局、家に戻ることになりました。「家を出なきゃいけない」と思っていても、現実には、そうした精神疾患や発達障害などには該当しないような女性たちの行き場がなく、セーフティーネットの谷間にいる女性たちの受け皿をどのようにつくればいいのかという課題が見えてきたように思いました。親子や家族との依存関係から、どう脱却するか。彼女たちは、家を出ればいいのか、また、どこへ行けばいいのかという課題です。

斎藤 「ひきこもり」問題を抱えている家庭は、虐待家庭もなくはないですが、統計をとってみると、割とふつうの家庭が多いというような印象があります。いろんな意味で、普通なわけです。それは偏見とか、そういったものも含めて、日本社会のいいところも悪いところも凝縮したような家庭が多い。家族のパターンも、母子密着で父親疎外、父親の居場所がない、とかです。

 息子と母はジェンダーが違いますから、密着にも限度があるように思います。しかし、母と娘は、本当に支配される、支配する、の関係になりやすい。そしてその結果ひきこもりになる。とにかく母親による娘の生活への干渉とか束縛が非常に強すぎるという問題がある。それから同性だけに、いろいろ心の機微がわかってしまうので、男性以上に深く操作的にかかわってしまう、と。操るようなことで性格が変わってしまうとかですね。そういう息苦しさがある。

 父と息子だったら、「父殺し」ができるわけです。もちろん実際殺すのではなく、父を乗り越えていくとかそういうことが可能なわけですけれども。母と娘の場合って、実際に母を殺したり捨てたりするというのは極めて難しいですね。難しいというのは、どちらかというと女性に多い感情として、「罪悪感」による支配があるわけですね。だから母が娘を支配する場合に、それこそ暴力的に暴言を吐いたり、愚痴をぶつけたりして支配するかたちと、娘に尽くす形で、罪悪感を植え付けて縛るという方法がある。いろんな支配形態がありますが、多くの場合はそのミックスです。

 そのなかで本当に、関係性が非常にこんがらかった形になって、入れ子状みたいな感じになってしまう。抜き差しならない関係で、逃げることもできないし、かといって従順にもなれない、そういう苦しさを抱え込んでしまうということが非常に多い。娘がひきこもっている場合は、母親の多くもそれこそ専業主婦で、イエにいたりする。同じ家に四六時中いるわけですから、非常にきついという状況がありますね。

池上 こういう話をすると必ず「いや、男性にもある」っていうふうに指摘もされます。もちろん、男性にもあります。男女の差はあれど、親子や家族との関係で、それぞれ悩んでいる。日本独特のこの家制度に根付いた価値観や関係性からどう脱却するかというのは、すごく大きなテーマ、深いテーマなのかなと思います。

≪プロフィール≫
 
池上正樹(いけがみ・まさき)
1962年生まれ。通信社勤務を経て、フリーのジャーナリストに。97年からひきこもり問題について取材を重ね、当事者のサポート活動も行っている。著書に『大人のひきこもり』(講談社現代新書)、『ダメダメな人生を変えたいM君と生活保護』(ポプラ新書)、『ドキュメントひきこもり』(宝島SUGOI文庫)、『痴漢「冤罪裁判」』(小学館文庫)、共著書に『あのとき、大川小学校で何が起きたのか』(青志社)などがある。
 
 
斎藤環(さいとう・たまき)
1961年生まれ。筑波大学大学院教授。専門は思春期・青年期の精神病理・病跡学。家族相談をはじめ、ひきこもり問題の治療・支援ならびに啓蒙活動に尽力している。著書に『社会的ひきこもり』(PHP新書)、『ひきこもりはなぜ「治る」のか?』(ちくま文庫)、『ひきこもりのライフプラン』(岩波書店)、『ひきこもり文化論』(ちくま学芸文庫)など。