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なまじ岐阜にきたばっかりに 加納城と奥平信昌

鈴木輝一郎 戦国武将の史跡を巡る その2

岐阜在中の歴史作家・鈴木輝一郎がゆるりとめぐる、戦国武将の史跡。
つい見落としてしまいがちな渋い史跡の数々を自らの足で訪ね、
一つ一つねぶるように味わい倒すルポルタージュ・ブログシリーズ開幕!

 

現代において全く認められてない名将 奥平信昌に捧ぐ

 

岐阜加納十万石・奥平信昌(弘治元~元和元年 1555‐1615)って
ものすげえかわいそうな武将なんであります。目立たなくて。
加納城は岐阜駅の南側、繁華街とは反対側にあります。
広大な城だったみたいですが、いまは本丸の石垣がちょこっとあるだけ。
いつも前を車で走ってるのに、いざ撮影しようとしたら探すのに手間取りました。

凄い武将なんですよ、奥平信昌って。徳川家康に剣術を目覚めさせた人なんだから。
『東照宮御実紀』(徳川家康の公式記録)をひらいてみると、
姉川の合戦のときに奥平信昌が初陣なのに首をいくつもとってきた。
家康「おお!お前はなんと剛力な奴なんだ」
信昌「いえ、力じゃなくて剣術でして」
家康「誰に剣術を習った?」
信昌「家臣に奥山休賀斎っていう、奥山新陰流の開祖がおりまして」
家康「わし、今川におったときにそいつに剣術習っとった。ここんところ忙しくて剣術どころじゃなかったんだが、お前ぐらい凄い腕になるんなら、もういっぺん剣術やりなおそう」
ってな具合。

その後、奥平信昌は長篠の戦いで大活躍し、織田信長から「信」の一字をもらった(それまでは「貞昌」)。
ほかにも小牧・長久手の戦いで豊臣秀吉の先陣をたたきつぶしたり、
関ケ原の戦いの後では京都の警備をやって安国寺恵瓊を逮捕したり。
 
そんな具合で、美濃加納十万石を家康からもらったんであります。
譜代大名で十万石、ってのは、徳川四天王に匹敵する評価なんですよ。
 
ちなみに奥平信昌の正室は家康の娘・亀姫。ただし戦功ではなく、奥平家がまだ武田信玄の家臣だった時代に政略結婚したもの。

ところが、地元民はほとんど誰も知らないんだよね。
岐阜城の織田信長居館跡は発掘調査も進んでいるんですが。
もう、現地地図と比較してわかる通り、天守閣どころか、濠まで埋め立てられる(^_^;)。
十万石の大藩だというのに、地元では『加納ほたるまつり』があるだけ^^;
しかも城に置かれているパンフレットのメインは「亀姫様」……かわいそう(;_;)

 

これ、岐阜以外の場所に封じられていたら、もっといい扱いを受けてたろうになあ、と、岐阜駅前のきんきらきんの信長像をみて思うんでありました。

 

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鈴木 輝一郎

すずき きいちろう

作家

1960年岐阜県生まれ。小説家。歴史小説『浅井長政正伝』『戦国の凰 お市の方』など著書多数。2008年には著作が50冊に達した。

日本推理作家協会・日本文藝家協会・日本冒険作家クラブ会員。


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