ブックライターが読んだ 向坂くじら『夫婦間における愛の適温』。そして感じた清々しいまでの嫉妬心【甲斐荘秀生】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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ブックライターが読んだ 向坂くじら『夫婦間における愛の適温』。そして感じた清々しいまでの嫉妬心【甲斐荘秀生】

 

◾️「文章力」なるものの、いくつかの側面

 

 ところが作品が詩ではなく文章となると話は変わってくる。私自身が曲がりなりにも、文章を書くことを仕事にしているからだ。

 私は基本的に「裏方」のライターで、普段はインタビューや対談の記事をまとめたり、文章を書き慣れていなかったり単純に多忙だったりする著者と打ち合わせて書籍の元原稿を制作したり、これまた多忙な編集者の代わりに原稿のリライトをしたり……といった仕事をすることが多い。

 だから文章の分野でも、私はあくまでも「裏方」であり「表現者」ではない。今年に入ってからは、ベストタイムズ上で何本コラムを書かせてもらったり企画を持ち込んだりしているが、それでも自分をエッセイストやコラムニストだとは思わない。自分の表現したいことではなく、取材対象者・クライアント・読者それぞれの立場の共通項を探して文章にするインタビューライターの仕事は性に合っているし、誇りにしている記事はいくつもある。

 じゃあなんで「表現者」である向坂くじらのエッセイに、裏方ライターである私が敗北感を抱いたかというと、第一には、私たち裏方ライターの商売道具である文章力でも「こりゃ敵わん」と思ったからだ。

「文章力」というのも雑な言い方だが、「いい文章を書ける能力」と言い直したところで大差ないので簡単のため「文章力」のまま進めることにして、それには「文の美しさ」「面白さ」「読みやすさ」「表現力」「淀みなさ」「つながりの良さ」「無駄のなさ」……のような様々な評価軸がある。一人のライターがすべての能力を兼ね備えていることは稀で、多くの場合は優れたいくつかの能力があり、その他の能力も及第点なら仕事が来る。私自身は「読みやすさ」、とくに「ある程度難しい内容を、読みやすい文章にまとめる能力」が高いらしく、おかげで研究者のインタビュー記事なんかをよく任されるが、一方で無駄な言葉が多く、つっかえるような読感がたまにあることを欠点だと自認している。

 どの業種でも同業他社の分析・評価をするものだろうが、それはライターも同様だ。私も、書籍やインターネットで他の人が書いた文章を読むたびに「ふむふむ。このライターさんは一つひとつの文は美しくて、相手の人となりを描くのがうまい。一方で文同士のつながりが少し唐突だな」とか「文の面白みには欠けるが、安心感があるな」とか、単純に「レベル低いな。これでライターかよ」とか思ったりしている。このような評価を通じて自分の能力の相対的な位置を見定めて、「あの人の文章の美しさは見習いたいな(でも、読みやすさでは俺のほうが上だし、自分の良さを伸ばしていこう)」みたいに切磋琢磨するわけだ。

 で、向坂くじらに話題を戻すと、彼女のエッセイはリズムがよくて楽しくすらすら読めてしまうが、だからといって砕けすぎてしまうことなく、語調には品があり美しい。置かれている場所に不自然さを感じる言葉がひとつもない。それでいて不意に突き刺すような、印象的な言葉を放り込む。

 つまり、どの軸で文章力を評価してもレベルが高い。だから「彼女の文章の良さは○○だ」と一言で評価できない。なんなら自分の自信がある能力(私なら「読みやすさ」)でも彼女のほうが上を行っていたりする。

 身近な友達にこれを見せつけられたら、悔しがらないと嘘だ。「まあ、僕は読みやすさ特化なんで」と半身になっていたことが恥ずかしい。

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甲斐荘秀生

かいのしょう ひでお

ライター

東京都出身。東京大学工学部化学システム工学科を卒業、同大学院新領域創成科学研究科環境システム学専攻修士課程を修了。会社勤めと並行して、出版や広報の分野でライターとして活動するほか、舞台の音響スタッフをしてみたり、喫茶店のマスターをやってみたりと、誘われたことにフットワーク軽く乗ってみる性分。「道に通じた人から見えている景色を、必要とする人にわかりやすく伝える」がライターとしてのモットー。

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