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超高層タワーの下には江戸が埋まっている

なめくじ長屋、暗渠、七不思議etc.

 

▲枕橋から東京スカイツリーを望む。隅田川の支流である「北十間川」は江戸時代に敷設された運河である。

 

5月に開業5年目に突入した東京の新ランドマークタワー東京スカイツリーは、浅草からほど近い墨田区向島にある。
最新の観光名所として賑わうこの地は、江戸時代の城下町として栄えた歴史をもっている。
ちなみに、現在の東武「とうきょうスカイツリー駅」はつい最近まで「業平橋駅」という駅名だった。その地名は、平安時代の歌人・在原業平に由来している。業平は東国を訪れた際、大河を渡る船上で都の恋人を偲んでかの有名な歌を詠んだ。

名にしおはゝばいざ事とはむ宮こ鳥
わがおもふ人はありやなしやと

また『伊勢物語』の中で、業平はこの土地をこう記している。

武蔵の国と下つ総の国との中にいと大きなる河あり
それをすみだ河といふ

この一節が「隅田川」の、ひいては現在の「墨田区」の名の由来となっている。

 

▲『江戸名所図会 七巻』(国立国会図書館蔵)江戸時代にはこの地に業平天神祠(絵図右)があった。

浅草駅から、墨田川に架かる言問橋(この名も、業平の「いざ事とはむ」にちなんでいる)を渡れば向島地域である。橋の南側に位置する隅田公園は、江戸時代に水戸徳川家の江戸別邸となっていた庭園跡地。明治天皇もレガッタ観戦のため、しばしば訪れたという。

 

▲水戸徳川家下屋敷跡の庭園は東京スカイツリーが借景。

9世紀に造営された古社・牛島神社が隣接するほか、文豪・堀辰雄、日本初の女性医師・荻野吟子の旧居跡など、周辺には、新旧さまざまな史跡も残る。

公園の南側を流れる「北十間川」は、江戸時代に敷設された江戸城下町の人工運河である。
枕橋で運河を南に渡ると墨田区役所。その脇には、江戸城無血開城に尽力した英雄・勝海舟を讃える銅像が立つ。

▲勝安芳(海舟)像。区役所内には勝海舟の展示品もある。

 

「なめくじ長屋」のあった業平橋も、今は昔……

北十間川沿いに東へ進むと、ほどなく東京スカイツリー界隈に着く。
再開発された駅前は、川の水もきれいに浄水されて噴水も楽しめる。

▲東京スカイツリー南側を流れる北十間川は大勢の人で賑わう。

 

実はこの北十間川、旧業平橋駅を境にT字型に分かれる。南下する支流は、近年では地下を流れる暗渠となっている。地上部は、大横川親水公園として活用され、南は錦糸町まで伸びる全長1.8kmの緑道に。その最北部に位置するのが、くだんの業平橋だ。

▲現在の業平橋。1.8km続く緑道の始点に位置する。

 

業平橋周辺と言えば、かつては古今亭志ん生の落語で有名な「なめくじ長屋」があった場所。

業平ってえと、在原業平かなんか思い出して、
知らないかたは、ちょいとイキなところだろう
と思うでしょうが、とんでもない。
もともと、池か沼だったところが、
関東大震災のときからゴミすて場になった。
そういうところを、そのままほォっておいては、
衛生上よくないてんで、上に土をバラパラとまいて、
バタバタと長屋ァおッ建てたんですな。

(古今亭志ん生「びんぼう自慢」立風書房)

現在の業平橋周辺は、浄水を活かした釣り堀や、タワーの撮影ポイントもあり、観光客もひっきりなしに往来する。また、大横川親水公園沿いは新しいマンションが立ち並ぶ住宅地だが、東京スカイツリーが眺望できる高層階は、軒並み賃料が高騰中とか。公園は、休日ともなれば付近の親子連れが訪れて川遊びや釣りを楽しむような、区民の憩いの場となっている。

関東大震災も経験した志ん生さんが、現在の業平橋界隈の変貌ぶりを目にしたら、何と言うことやら。

▲いくつもの橋が架かる大横川公園。流れる水は浄水済みで、子供が安全に水遊びできる。

 

▲江戸時代の怪談を紹介する「本所七不思議」石碑が往時を偲ばせる。

 

古い時代の建物などは震災や戦争によって失われたが往時を偲ばせるものは、地名や地形の中に遺されている。世界的な超高層タワーの下には、1000年以上にも及ぶ歴史が堆積しているのだ。東京の新名所を訪れた際にはぜひ、「新しきを訪ねて古きを知る」散策を愉しんでほしい。

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