信玄は胃がんか結核で死んだ!? |BEST TiMES(ベストタイムズ)

BEST TiMES(ベストタイムズ) | KKベストセラーズ

信玄は胃がんか結核で死んだ!?

武田信玄の遺言状 第1回

武田信玄像 
覇王信長が最も恐れた武将・武田信玄。将軍足利義昭の求めに応じて上洛の軍を起こすが、その途上病に冒され、死の床につく。戦国きっての名将が、武田家の行く末を案じて遺した遺言には、乱世を生き抜く知恵が隠されていた――。

 将軍足利義昭の求めに応じ、本願寺や浅倉・浅井氏などと連携して信長を討滅するために、上洛の軍を興(おこ)した武田信玄は、遠江(とおとうみ)三方ヶ原で家康軍を粉砕し、無敵の強さを誇示した。しかし姫街道(ひめかいどう)を西進し、三河野田(みかわのだじょう)城を陥れてから、武田軍の動きが止まった。信玄が病んだからである。

 野田城で四花(しか)の灸をすえ、種々の薬を飲んで、一時は快方に向かうかに見えたが、結局、病状が悪化したため、要害の地である長篠城(ながしのじょう)に移って、養生をした。

 だが、滞在1カ月、口内にデキモノができ、歯が5、6本抜けて、一気に衰弱する。53歳の信玄はさすがにわが身の最期を悟った。この時、胃がん、もしくは結核に冒されていたとされる。(続く)

オススメ記事

楠戸 義昭

くすど よしあき

1940年和歌山県生まれ。立教大学社会学部を卒業後、毎日新聞社に入社。学芸部編集員を経て歴史作家に。著書に『戦国武将名言録』『この一冊でよくわかる!女城主・井伊直虎』(以上PHP文庫)、『吉田松陰「人を動かす天才」の言葉』『坂本龍馬の手紙 歴史を変えた「この一行」』(以上三笠書房・知的生きかた文庫)、『山本八重』『文、花の生涯』『井伊直虎と戦国の女城主たち』(以上河出文庫)ほか多数。


この著者の記事一覧