詳しくは次回以降、紹介していこうと思いますが、土光氏の基本的なスタンスは、「他人に何かを求めるのであれば、まずは自分が行動や結果で示していく」「立場が上の者ほど誠実に、身を削るようにして職務をまっとうしなければならない」「権限を下のものにどんどん委譲して、仕事を任せよ。ただし、上の人間はしっかり責任を持たなければならない」といったところ。相手がどのような立場・役職の人間であろうと甘やかすことなく、責任や成果を要求する、非常にストイックなものです。しかも、“偉い人間ほどツライ思いをしなければならない”という姿勢を貫きます。そしてそれを、自分自身がもっとも忠実に実践していくのです。東芝においても、そうした土光氏のふるまいに影響されて、役員、社員ともに働きぶりが如実に変化し、組織全体が変わっていったといいます。
現代において、土光氏の発言に触れて、「悪しき昭和の根性論じゃないか」と感じる向きもあるかもしれません。実際、土光氏は著書のなかで根性の大切さを丁寧に説いてもいます(「根性」が差をつける/『信念の言葉』収録)。ただし、よくある根性論とはひと味違うように感じるので、最後に紹介しましょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

根性とは、いろいろ定義の仕方があろうが、要するに「仕事への欲の強度と持続力」だといえよう。

仕事への欲は、実は誰でも持っている。だが人によって、強い弱いの差があり、永続きするか線香花火で終わるかの差がある。人よりも強い欲、永続きする欲で、途中でへこたれず、最後の勝利を勝ちとろうではないか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

根性とはつまり、欲の問題である──そう定義する土光氏。なるほど、と思わされてしまいました。「いい仕事がしたい!」という思いをどれだけ強く持つことができるか。そして、それを実現するためにどれだけ実直に邁進していけるか。これこそが「仕事への欲」であり、根性の本質であるということでしょう。次回は、伝説のように語り継がれている「メザシの土光さん」の逸話に触れていきます。