難病「道化師様魚鱗癬」を患う我が子と若き母の悲しみと苦しみ。「ピエロ」と呼ばれる息子の過酷な病気の事実を出産したばかりの母は、どのように向き合ったのか。『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』著作を綴った「ピエロの母」が外見的に全身の皮膚にハンディキャップを持つ病状の我が子を、世間の好奇な視線の不安とも向き合いながら、母親として戦う覚悟を決めた瞬間のお話です。難病・障害を持つご両親が最初に世間と向き合うときの壁を、若き母はどう乗り越えたのだろうか。
 

◆踏み出す半歩

陽(よう:我が子)が産まれて1か月半を過ぎた頃、医師からベッドの移動を提案された。

陽のいる病院は、次々と、千グラム程の赤ちゃんが誕生する。
生きようと頑張る小さな命を、先生方が懸命に守っている。

そんななか、陽はNICU(新生児集中治療室)の1番奥で、誰よりも場所をとっていた。

すでに体重は2500グラムあり、呼吸も落ち着いている。

常に感染症の恐れはあるが、無菌カプセルに守られ、つきっきりで一分一秒を争うほどの状態ではもうない。

ということで移動の話がでた。

そのとき、先生は言葉に詰まらせながらこう言った。

「移動した先では、他のお母さんたちに見られることがあります」

「精一杯、見えないようにパーテーションなどで対応はしていこうと思いますが、完璧に見えないようにすることは不可能です」

「それでもよろしいでしょうか」

「もし嫌なら、そう言って下さい。それならまた別の方法を考えます」

急なことだったため、すぐに返事をできないでいると、傍にいた看護師さんが私の腰に手を当てて、
「お母さん、無理しなくていいよ」
「嫌なら、正直にそう言ってね」と優しく声をかけてくれた。

見られる。

これまでにも何度か、処置をする際、パーテーションを開けて行うことがあった。その時、面会にきていたお母さんたちが陽の姿を見て、なんとも表現しづらい表情をしていた。
夫婦で面会にきていた人は、陽を見てヒソヒソと話していた。

正直に言えば、嫌だ。

そんな目で見られなくない。

これが本音だった。

だけど、言えるはずがない。
陽のすぐ傍(かたわら)では、まさに今、この時を生きたいと、小さい体で踏ん張る赤ちゃんがいる。
その姿を見てきているから、言えるわけない。
言えるわけがない。

見られること。
それは陽にとっても、私にとっても、これからずっと続いていくこと。
一生続くこと。
もういい加減、腹をくくらなければならない。

半歩でも踏み出さなければ、この先もきっと、踏み出すことができない。

「移動して下さい」

「私たちは大丈夫ですから」

そう自分に言い聞かせるかのように言った。

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