難病「道化師様魚鱗癬」を患う我が子と若き母の悲しみと苦しみ。「ピエロ」と呼ばれる息子の過酷な病気の事実を出産したばかりの若き母は、どのように向き合ったのか。『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』著作を綴った「ピエロの母」が、産後1カ月。全身の皮膚に薬を塗布された我が子へ母乳を搾り、病院に与えに行く時の思いと息子に対面する時の感情を綴った。
 

◆友人からの喝(かつ)

母乳を絞り、病院に届け、陽に会い、写真を撮る。
そんな日々が続き、陽が産まれて1か月を迎える直前、いつも通り陽に会いにいき、
陽を見て驚いた。

オムツ・・・。

オムツをちゃんと履いている。
脚を通して履いている。
今までは、ただお尻に敷いてあっただけのオムツ。

それが、ちゃんとオムツとして使われている。
オムツのテープも、ちゃんと止めてある。

嬉しくて、嬉しくて、何枚も何枚も写真を撮った。
オムツが履けただけで、とてつもなく幸せを感じた。

「陽、オムツはけたね、えらいね」

そう、この頃には、私も陽に声をかけられるようになっていた。

そしてこの日の夜、友達に、1か月早く出産したこと。
陽のことをやっと伝えることができた。

私の報告を聞き、

「どうせ強がってるんちゃう? 私らの前でくらい泣いたらいいやん!」と言って一緒に泣いてくれた友達。

「大丈夫やろ! そんな心配しやんとくわ!! 退院したら遊びに行くでなぁ〜!!」と、いつもと変わらず明るく接してくれた友達。

「母親になったんやから頑張らな! 子どもにとっては母親が何よりも必要! 母親からの愛情に敵(かな)うものはないんやでな!!」と言って喝(かつ)を入れてくれた友達。

みんなの言葉に救われた。
なかなかすぐに報告できずにいた自分が、情けなく感じた。

難病「魚鱗癬」の過酷さを物語るイラストレーション(1888年) No restrections

そして次の日は私の1か月検診。
何事もなければ、自分で車を運転して病院まで来れる。1時間に1本のバスとはおさらばできる。
そう想いながら眠りについた。

いつしか布団(ふとん)に入っても、泣かずに寝られるようにもなっていた。

■指先から感じる我が子

あぁ、なんか懐かしいな。
産婦人科の診察室、診察の椅子に座って、ウィーンと動く振動。初めての妊娠で、この振動ですら赤ちゃんに良くないのでは、と考えていた日を思い出した。診察が終わると、

「うん、問題ないね〜。傷口もいい感じ。母はすこぶる良い感じやのにね〜」

先生からのその言葉に、「う〜ん・・・なんか引っ掛かるなぁ」と思いながらもお礼をし、陽の病棟に向かった。

この日で陽が産まれて1か月、
長く短い1か月、
一生分泣いた1か月、
少しだけ強くなれた1か月。

「陽、おめでとう」

そしてこの日、初めて陽に触れても良いと許可がでた。
触るのがこわくて、恐る恐る手を伸ばした。
滅菌手袋越しに触る息子は、全身、薬でベタベタしていた。

あたたかい。 

生きてるんだ。 

陽、頑張っているんだね。

陽に触れることができ、嬉しくてたまらない。
しかし、その気持ちと同じくらい、切なくてたまらない。
陽に触れて体温を感じ、抱っこしたい、抱きしめたい、という思いがさらに強くなったからだ。

涙は出なかった。
泣く余裕なんてなかった。

ただ、ひたすら優しく陽に触れて、手の平から、指先から、陽の存在を思い切り感じ取っていた。
我が子の温もりに浸っていた。
手袋越しに陽に触れ、写真を撮る。
話しかける。

まだこれだけのことしかできないけれど、それだけでもすごい進歩だと思えた。

そして陽が産まれて1ヶ月半経った頃、休日に夫と一緒に陽に会いに行き、
そのときに撮った写真は、私達の一生の宝ものになった。

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