難病「道化師様魚鱗癬」を患う我が子と若き母の悲しみと苦しみ。「ピエロ」と呼ばれる息子の過酷な病気の事実を出産したばかりの母は、どのように向き合ったのか。『産まれてすぐピエロと呼ばれた息子』著作を綴った「ピエロの母」が生への弾劾を問わざるを得ない受難を背負ったその瞬間の憂いを綴った真実の記録です。NICU(新生児室)で魚鱗癬の息子へ語りかける「ごめんね」という言葉に、生きることの重荷を私たちはどう受け止めるべきなのだろうか。
 

◆どんな姿でも、私の子。ちゃんと向き合おう

我が子との2回目の面会。

この日は2日ぶりに、コンタクトレンズをつけた。
そう、まだ私は現実を見たくなかった。
産後2日間、ずっとぼやけた世界に逃げていた。
でも今日は何もかもがクッキリと見える。
夫の目の下のひどいクマも、いつもより剃り残しの多いアゴヒゲも。

そうだ、苦しいのは私だけじゃない。しっかりと現実を見なければ。

そう思えた理由は2つ。根っからの子ども好きで、
「産まれたら〜」
「大きくなったら〜」と、色んな理想を語っていた夫とのやりとりを思い出したから。

私と同様、辛いだろうに・・・。
それでも「僕がしっかりしなくては」と辛く苦しい想いをねじ伏せ、頑張ってくれているのがすごく伝わるから。
さらに、傷心する私に、私の母は毅然とした面持ちで、
「どんな姿でも、可愛い孫にかわりはない」
と言ってくれたからだ。
その言葉は私の胸に、とても鋭く、深く、突き刺さった。

どんな姿でも、私の子。
ちゃんと見よう。
お腹の中にいた時のように、話しかけてあげよう。
頑張って生きようとしている息子に、名前を呼びかけよう。
夫と図書館で本を借りて、たくさん調べて決めた名前、
『陽』(よう)と。

そう決意して、NICUのドアを開いた。

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