■20世紀初頭の「事件」。パリを征服したバレエ

パリを興奮のるつぼへと変え、大きな物議を呼びおこしたバレエ・リュスによるパフォーマンスの数々。『牧神の午後』のプログラム(右:1912年初演)と『火の鳥』の衣装スケッチ(左:1910年初演)などもその一部だ。

 世界の中心パリの残り香が漂うベル・エポックの1909年、『バレエ・リュス(ロシア・バレエ)』がこの街をバレエに目覚めさせた。それから20年間の活動によってバレエの魅力を世界に再認識させ、さらにその種子を世界中へと伝播させた一大活動のスタートだった。

「イタリアで生まれ、フランスで育ち、ロシアで花開いたバレエの魅力が、再び西欧を捉えたのです」と、バレエ研究家の川島京子さんが解説する。

バレエ研究家/川島京子さん
跡見学園女子大学准教授。
専攻は舞踊学、バレエ史。
早稲田大学・同大学院に学び、歴史・文化面に広がるバレエの芸術性を研究。

「チャイコフスキーの3大バレエなど、クラシック・バレエの素晴らしい伝統が育っていたロシアとは逆に、フランスではロマンティック・バレエ以降、バレエ不毛の時代が続いていました。そこに乗り込んだバレエ・リュスの魅力に、たちまち誰もが捉えられたのです」

 ロシアの誇りだった帝室マリインスキー劇場のシーズンオフに、そのメンバーを中心に行われたバレエ・リュス公演。そのデビューは、20世紀初頭の芸術的「事件」として一大センセーションを巻き起こす。それから毎年のように、パリを拠点として西ヨーロッパの各地や南米などを巡演し、踊りと音楽だけでなく、衣装や美術などが一体化した総合芸術としてのバレエを各地に強く印象づけることになった。

パリデビュー2年目のバレエ・リュスはついにオペラ座を征服。
1913年には新装のシャンゼリゼ劇場で『春の祭典』を初演。

 

■集ったのは世界最高のアーティストたち

 バレエ・リュスの仕掛け人はロシア人のセルゲイ・ディアギレフ。裕福な地方貴族の家に生まれ、ロシアのみならずフランスの芸術や興行などの事業にも通じていた。

「ディアギレフの目的は、ロシア芸術のフランスへの紹介でした。西欧からロシアへというそれまでの文化の一方通行に対する逆流にチャレンジしたのです。1906年にはパリでロシア美術展、翌年にはロシア音楽演奏会、1908年には大歌手シャリアピンを主演に『ボリス・ゴドゥノフ』をパリ・オペラ座で上演しました。そして最後にたどり着いたのが、すべてを一気に紹介できるバレエという形式でした」

バレエ・リュスのプロデューサーとして近代バレエを開いたセルゲイ・ディアギレフ。