■虐待サバイバーへの理解は精神医療界ですら遅れている

 虐待サバイバーの心理を理解しているべき精神科医でさえ無理解な姿勢を示す。精神科医でさえ、虐待の後遺症は子どもだけに起きるものだという間違った認識をしている。虐待サバイバーの苦しみに関する研究も遅れている。ましてや支援体制など。

 当事者のサバイバーでさえ、自分を苦しめているものが何であるのか言語化できるようになるまでに何年もかかる。精神疾患という現象の奥にある原因は簡単には特定できないことを、精神科医自身がわかっていないことも多い。

 

 羽馬千恵の『わたし、虐待サバイバー』(株式会社ブックマン社、2019)も見逃せない「虐待サバイバー文学」だ。羽馬が生まれてまもなく両親は離婚。羽馬が5歳のときに母が再婚し、羽馬に妹ができたが、生活苦のために母親は長女を無視し始める。義父の幼い羽馬に対する暴力や性的虐待も始まる。義父と離婚後に、母はまた新しい男を家に連れてくる。その男と別れると、母は次の男の家に行き、羽馬の姉妹は事実上遺棄される。

 壮絶な子ども時代をやっと生き抜き、羽馬は大学入学資格検定試験に合格し、貸与型奨学金を借りて大学に進学する。大学院にも進学し、成績優秀だったので、大学院の貸与型奨学金は全額免除される。しかし学部の奨学金500万円の返済は残る。

 しかし、10代の後半から精神を病み始めていた羽馬は重度のうつ病になる。得ることができなかった父親の愛への渇望から、年配の男性に過度に依存しトラブルを起こす。精神的依存先を求めては騒ぎを繰り返す。自殺未遂を繰り返し、精神病院の閉鎖病棟に医療保護入院する。

 25歳で生活保護を受給し半年間寝たきり引きこもり。その後に非正規雇用の職を得て、やっと正規職員として雇用される。しかし、やはり人間関係の失敗を繰り返し、うつ病の悪化もあり失業を繰り返す。羽馬の虐待サバイバーとしての苦難は今も続いている。

 

■「虐待サバイバー文学」が教えてくれること

 ごく普通の家庭に育った人間にとってでさえ、家族は祝福であると同時に呪いだ。生身の人間が集団で居住する家庭空間には、摩擦も葛藤も生じる。子どもは親を選べないというが、親だって子どもを選べない。自分の時間と金とエネルギーを注いで育てても、こんな程度の人間にしかならなかったのかと自分の子どもを寂しく眺める親もいる。

 つまり問題のない家族も家庭もない。誰もが自分で選んだわけではない家族や家庭の影響を心身に刻んで社会に出る。

「虐待サバイバー文学」が教えてくれるのは、誰もが子ども時代に呪縛されたまま生きているのだから、出会う人間の歪みや偏向は、その人々の人格の問題ではなく、子ども時代の体験の蓄積なのかもしれないと理解する必要性だ。誰もが「傷ついた子ども」なのかもしれないと想像することだ。

 それにしても、生きることは生易しいことではない。私は、1947年に出版されて以来読み継がれているホロコーストの生き残りであったヴィクトール・E・フランクル著『夜と霧---ドイツ強制収容所の体験記録』(霜山徳彌、みすず書房、1985)の最後あたりの記述を思い出す。

 アウシュヴィッツ強制収容所を生き残った人々を苦しめたのは、過酷な日々の記憶ではなかった。あれだけの困難さを耐えたのに、その後の人生でも苦難は続くということだった。

 虐待サバイバーを苦しめているのも、子ども時代の記憶ではなく、あれだけの困難さを生き抜いたこと自体が、その後の苦難の免罪符にはならず、苦難はいつまでも続くという、ごくあたりまえの現実なのかもしれない。