機関銃が猛威をふるった日露戦争旅順攻囲戦 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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機関銃が猛威をふるった日露戦争旅順攻囲戦

第二次大戦で恐れられた列強の機関銃①~戦場における大量殺戮兵器の原点となったマシンガンの真実~

■機関銃が猛威をふるった日露戦争旅順攻囲戦

1898年に撮影されたマキシム機関銃。同銃はアメリカ軍によって米西戦争に投入されたが、当時の同軍では、その戦例に基づく大量装備は行われなかった。

 火薬の力を利用して弾丸を撃ち出す銃という兵器が発明された時から、「弾丸を連続して撃ち出せる銃」の夢もまた始まった。

 その夢が叶うきっかけとなったのは、19世紀の後半に、それまで別々に銃に込められていた「弾丸(ブリット)」と「発射薬(パウダー)」と「雷管(プライマー)」が、「薬莢(ケース)」というひとつの容器にまとめられた「実包(カートリッジ)」が誕生したことだった。
 この実包が開発されたおかげで、連発ピストルや連発ライフルが登場した。だが当時は銃を連射する「動力」に人力が用いられていたため、「多弾数の高速連射」は難しかった。そこでこの問題を解決するために開発され、もっとも実用性が高く実際に用いられたのが、1861年にアメリカの発明家リチャード・ジョーダン・ガトリングが世に送り出したガトリングガンであった。
 ガトリングガンの基本的な射撃構造は、1:複数の銃身を「外部の動力」で回転させ、2:弾倉からの「給弾」によってそれぞれの銃身に設けられた薬室に実包を「装填」し、3:銃身の回転が続くことで「撃発(弾丸の発射)」が行われ、4:さらに銃身の回転が続くことで「排莢(空になった薬莢の排出)」がなされ、この1から4までのサイクルの繰り返しによって連射が行われるというものだ。

 ガトリングガンが実用化された当時、1の「外部の動力」とは、複数の銃身を回転させるクランクハンドルを腕力で回す「人間」であった。そのため、ハンドルを回すスピードを速くしたり遅くしたりすることで、連射速度もまた速くしたり遅くしたりとコントロールできた。
 こうして、ガトリングガンの登場で「多弾数の高速連射」はある程度まで可能となったものの、複数の銃身を備えるガトリングガンは、とにかく大きくかさばる代物だった。
 ならば、何らかの方法で1本の銃身から「多弾数の高速連射」はできないか?

 この夢を実現した実用的な銃が、アメリカ生まれのイギリス人発明家ハイラム・マキシムが1884年に世に送り出した世界初の機関銃である。この業績により、以来マキシムは「機関銃の父」と呼ばれるようになった。
 マキシムは、実包から弾丸が発射される際の反動を利用して「給弾」→「装填」→「撃発」→「排莢」→「給弾」・・・・のサイクルを実現。ガス圧の利用で同様のサイクルを行う機関銃も同時期に開発された。
 だが保守的な各国の軍部は、マキシム機関銃に興味こそ示したものの、本格的な大量採用に至った国はほとんどなかった。極初期の機関銃ゆえシンプルな構造で故障が起こりにくかった同銃が、その真価を発揮したのは、1904年から1905年にかけて戦われた日露戦争における旅順攻囲戦である。
 日本軍の銃弾や砲弾の破片にやられぬよう、厳重に防御され射界が開けた機関銃座に設置されたロシア軍のマキシム機関銃が、突撃を仕掛ける生身の日本軍将兵に大損害を生じさせたのだ。
 この戦例は、日本やロシアの戦闘行動を間近で観戦していた列強の武官によってそれぞれの母国に報告されたが、保守的な各国の軍部はそれでもさして動かなかった。
 ところが1914年に始まった第一次世界大戦で、機関銃はこの日露戦争での戦例のまさに「拡大バージョン」として、同大戦での主流となった塹壕戦でその威力を再び発揮。ゆえに同大戦は、機関銃に象徴される航空機、潜水艦、戦車、毒ガスといった近代兵器総ざらえの戦争という意味で、「マシンガン・ウォー」と称されることもある。
 

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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