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【轟沈75年】実戦で浮かび上がる盲点、日々悪化する戦局…戦艦「大和」に次々と襲い掛かる誤算

戦艦「大和」の生涯~構想から終焉まで~④

日本劣勢の救世主としてついに太平洋戦争の場に立った「大和」だが、机上では想像しえない洗礼を受けることとなる。巨大戦艦というその代名詞は逆に標的として狙いやすいというリスクも孕んでいたのは確か。軍上層部、技術者、戦火の司令官、それぞれの立場から戦艦大和に対する思いを共有することはあればまた違った歴史となったのだろうか。建造計画から4年、戦局も変わり当初の理想とはかけ離れていく大和に、これまですべてを捧げてきた人々はどんな思いだったのだろう。(原勝洋 編著『戦艦大和建造秘録 完全復刻改訂版』より引用)

◼️米潜水艦の魚雷わずか1本で主砲戦闘力の3分の1を喪失

サマール島沖で対空戦闘を行う「大和」。この写真も比島沖海戦のワンシーンである。10月25日の撮影で、この日、本艦は米護衛空母部隊に46センチ砲を発射 している。艦首が幾分沈下しているが、前日の被爆による浸水のためである

 1943(昭和18)年12月25日、「大和」は自慢の防御装甲鈑を取り付けた水中防御システムに、設計上の思わぬ盲点があったことを思い知らされる

 同日0440米潜水艦「スケート」は、北緯10度13分、東経150度27分、距離27,500ヤード(約25,000メートル)に目標を探知した。同艦は明け方の魚雷攻撃に都合の良い位置につくため、針路を270度に変針し、目標を左に引き寄せようと試みた。

 6分後「スケート」は、距離23,000ヤード(約21,000メートル)まで目標に接近した時、日本側のレーダーに探知されないよう潜航した。スクリュー音から3隻の目標を捉えていた。あたりは非常に暗く、はっきりと相手を確認出来なかったが、20,000トン級の大型艦と2隻の駆逐艦であると思われた。

「スケート」は前部魚雷発射管による攻撃を企図したが、ソナーによる探知では、目標が左方向へのジグザク運動中であることを示していた。それは同艦の艦尾を通過することを意味する。

 狙いの方向は良好だったが、距離と方位角は疑わしかった。「スケート」は艦尾の魚雷発射管を準備し、距離約2,200ヤード(約2,000メートル)、右90度方向に照準を定めた。

同艦は0518、目標の大型艦に対し

●喫水を28フィート(8.5メートル)と推定
●針路145度
●速力19ノット
●距離2,400ヤード(2,190メートル)

と判断した。

「スケート」がレーダー探知した20,000トン級大型艦は、実際には満載排水量72,809トンの巨大戦艦「大和」だった。「大和」は、陸軍独立混成第一連隊主力の輸送任務で横須賀から6日間の航海をし、トラック島北方に差しかかったところである。第10戦隊第10駆逐隊の「秋雲」と第17駆逐隊の「谷風」「山雲」の駆逐艦3隻が、その護衛任務についていた。

 0518「スケート」は、後部発射管から4本の魚雷を推定速力19ノットの目標に向けて発射した。魚雷発射時の状態は、自速3ノット針路240度潜航深度64フィート(19.5メートル)、潜望鏡は降ろしたままだった。

「スケート」のソナーは、Mk14-3A魚雷4本が雷速46ノット、調定深度10フィート(約3メートル)で目標の「大和」に向かって8秒間隔で駛走して行くのを追尾している。およそ2分後、こもった爆発音に続き確実な爆発があった。「スケート」は3分後に爆雷6発の攻撃を受けたが、至近距離で爆発したものはなかった。

「大和」は突然「ズシン」と右舷に横揺れの衝撃を受けた。「配置に付け」のブザーが鳴り響き、総員が戦闘配置に付いた。しかし、本艦は何事もなかったかのようにトラック島に入港したのである。

「大和」に人員の損害はなかった。だが本艦は1本の魚雷の命中で水防縦壁に穴が開き、第三砲塔の火薬庫が浸水して使用不能となったのである。大艦巨砲の象徴「大和」は、一瞬にして主砲戦闘力の3分の1を失った

 原因は、舷側防御の弾性体である甲鈑が、水線下約4メートルで魚雷の直撃を受け、爆発の衝撃で10メートルの範囲が瞬間的に約1メートル程も艦内に押し込まれ、そのまま元の位置に復帰した点にある。表面上は何んの異状もないように見えたが、甲鈑を棚状に支えていた背材のリベットがすべて切断され、縦壁の骨材取付けブラケットの爪先が第三砲塔火薬庫側壁に、10数個の穴を開けたのである。この穴を通して海水が火薬庫を水浸しにした。

 トラック島には優れた能力の第四工作部と工作艦「明石」が在泊していた。損傷部を調査の結果、十分防御されていたはずの火薬庫内と後部機械室に約3,000トン浸水したことが判明した。
 前記の工作能力をもってしても、トラック島での修理は不可能だった。

トラック島春島沖泊地に停泊する「武蔵」(手前)と「大和」。撮影時期は明確でないが、1943(昭和18)4月の可能性が大きい。世紀の巨艦2隻が、こうして同じ画面に収まっているのは大変興味深いものがある

KEYWORDS:

『戦艦大和建造秘録 【完全復刻改訂版】[資料・写真集] 』
原 勝洋 (著)

 

なぜ、「大和」は活躍できなかったのか?
なぜ、「大和」は航空戦力を前に「無用の長物」だったのか?
「大和」の魅力にとりつかれ、人生の大半を「大和」調査に費やした編著者の原 勝洋氏が新たなデータを駆使し、こうした通俗的な「常識」で戦艦「大和」をとらえる思考パターンの「罠」から解放する。

2020年、「大和」轟沈75周年
世界に誇るべき日本の最高傑作、戦艦「大和」の全貌が「設計図」から「轟沈」まで、今ここによみがえる!「米国国立公文書館Ⅱ」より入手した青焼き軍極秘文書、圧巻の350ページ。さらに1945年4月7日「沖縄特攻」戦闘時[未公開]写真収録

【大型折込付録】
大和船体被害状況図(比島沖海戦時)
大和・復元図面 ①一般配置図 ②船体線図/中央切断図/防御要領図

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