現実はいつも泥臭くダサくて哀しく矮小で貧乏くさくて意味不明だ。でも大丈夫。馬鹿でもブスでも貧乏でも、きちんと生きていれば、そんな現実を受け入れ愛することができるようになる。疲れたら、ちょっとの間だけファンタジーに逃げ、元気になったら、また現実とおつきあいすればいい。

■ひょっとしたら自分だったかもしれない女性たちの受難事例集

 こういうことを書くとぶっ飛ばされると思うが、近年よく出版されるようになった「貧困女子本」は、中流階級にかろうじて所属している女性にとっては、逆説的自己啓発本となる。

 低スペック女子向け自己啓発本であるところの拙著『馬鹿ブス貧乏で生きるしかないあなたに愛をこめて書いたので読んでください。』の対象読者にとっては、「こうするとこうなるから、こうならないように私は気をつけよう!」と考えさせるのが貧困女子本である。

 すみません。ぶっ飛ばしていいです。

(何の根拠もデータもないが)2040年代以降の日本は未曾有の発展と繁栄を享受していると私は信じている。しかし、これから15年間ほどは日本人は苦しい。特に女性にとっては大変だ。

 不況や雇用の悪化は、男よりも女のほうに重くのしかかる。非正規雇用は女のほうが多い。給与は女のほうが安い。ハラスメントも女のほうが受けやすい。家族も、特に母親は息子の引きこもりには甘くても、娘のそれは許さない。親が受ける貧乏であることのストレスの矛先は、息子ではなく娘に向きやすい。息子の学費は無理してでも捻出するが、娘の学費は出さない親は少なくない。

 経済的に無力なことで苛立っている男の八つ当たりの対象になるのも女だ。自分を解雇した企業の経営者を殴る代わりに妻を殴る男はいる。風俗産業に行く金を惜しみ娘に性的虐待をする父親もいる。不遇と孤独に耐えることができない男に誘拐監禁され殺害されるのは少女だ。無職の男から財布の入ったバッグを強奪されるのは高齢女性だ。

 このことについて女性たちはよく承知している。だから、2019年師走の大型書店の店頭の目立つ場所に高々と平積みされている書籍は「貧困女子本」である。このような貧困女子本を買って読むのは、中流階級に属する女性が多いに違いない。貧困女子ならば本を買う余裕もないし、読書の習慣もないことが多いのだから。

 男性読者の場合は読み方が違う。男性にとっては、貧困女子本は文学の伝統であるところの女性受難物語の変形だ。特に若い女の不幸の覗き見は面白い。元文部科学官僚の前川喜平氏の趣味のようなものだ。

 しかし、女性にとっては「貧困女子本」は、「ひょっとしたら自分だったかもしれない女性たちの受難事例集」だ。身につまされて読む恐怖の事例集だ。

 現在、貧困女子本として売れているのは、中村淳彦の『東京貧困女子。:彼女たちはなぜ躓いたのか』(東洋経済新報社、2019)と『日本の貧困女子』(SB新書、2019)だ。これら2冊のうち、『東京貧困女子。』のほうが多く読まれている。この本は、2019年の「Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」にノミネートされた。

 

東京貧困女子。』は、東洋経済オンラインの2016年4月から開始された連載「貧困に喘ぐ女性の現実」(https://toyokeizai.net/category/hinkon)が元になっている。貧困に苦しむ読者からの取材申し込みから選定されたインタビュー記事は人気を呼んだ。