「美女ジャケ」とは演奏者や歌っている歌手とはまったく無関係な美人モデルをジャケットにしたレコードのこと。1950年代のアメリカでは良質な美女ジャケに溢れており、ギリギリセーフなエロ表現で“ジャケ買い”ユーザーを魅了していたという。このたび『Venus on Vinyl 美女ジャケの誘惑』を上梓したデザイナー・長澤均が、魅惑の美女ジャケについて独自の考察を語る。

■アメリカの大量消費社会は主婦の性的欲求不満が寄与していた!?

ジャッキー・グリーソン「music for the Love Hours」

 まだまだムシムシの8月24日、ある座談会に招かれた。電子書籍として『めくるめくお色気レコジャケ宇宙』を上梓した山口eGuccif佳宏さん、その版元たる圏外編集者・都築響一さんの司会による三者座談会。

 さすがに満席。会場では筆者オススメの美女ジャケとグッチさんコレクションの和物のお色気ジャケをそれぞれ30枚以上展示したが、右と左に分かれたセクシー・ジャケを見ているといろいろ違いもわかって面白かった。

 そもそも筆者コレクションの美女ジャケは1950年代のものを基本にしている。写真もタイトル・フォント(書体)も、その時期が最高に洗練されているからだ。一方、和物のお色気ジャケは1960年代後半以降の、つまり昭和40年代の産物。もちろん日本人モデルが多いが、それ以上に金髪美女の多さにもびっくりするのだ。

 するどく指摘してしまったのだが、日本で「金髪西洋美人」への憧憬がものすごく強くなった時代のものだ。

 

 なぜかを紐解くと長くなるが、かいつまんで言うとまず、日本では1964年まで海外渡航が自由化されていなかった。政治だの学術研究だのといった尾ひれが付かないと渡航許可が下りなかったのだ。

 さらに為替相場が1ドル360円の固定相場! 日本では中流ですよ、と言ってもこれでは海外に行っては相対的に貧乏だった。たとえばハワイ旅行が飛行機代だけで40万円とか。

 ちなみに筆者が初渡欧した1977年の羽田~パリは片道約30万円! アルバイトで返すと親を騙して借りて行ったが、そんなお金返せないでしょう、甘ちゃんの学生が!

 そういう時代だが、とりあえず海外渡航が自由化され、行けないながらも海外情報はたくさん入ってくる。欧米の映画を観てもあまり裸は拝めないが、雑誌のグラビアやレコジャケにはパツキン・ヌードが現れ、もしかしてオレでも、なんて妄想から和物レコジャケで金髪美女ヌードが大流行するのだ。

 

 話を1950年代の欧米の美女ジャケに戻すと、こちらも白人美女天国だったのは、連載第2回で書いたとおり。東洋人や黒人モデルが登場するのは50年代末から60年代初頭のこと。公民権運動も起こったし、時代は変わりつつあった。

 そんな気分が1950年代後半からなんとなく美女ジャケにも表れるようになる。筆者はこれを「サバービアの倦怠」と呼んでいる。そう、保守的で調和が取れた白人世界にも、なにやら倦怠期というか、さざ波が起こり始めている感じなのだ。

 サバービアとは「郊外」のこと。戦後から1950年代にかけてアメリカは郊外住宅(サバービア)が、ものすごい勢いで拡大して、そこでの生活様式がすべての規範となった。たとえば、隣の家で冷蔵庫を買ったら...ウチも。クルマも...ウチも。テレビも...ウチも。

 と、みんな横並びだったのだ。そうしないと「あの人、変わっている」とサバービアの住人から異端視されてしまったのだから。

 

 主婦は財布を握っていたが、夫には従順。もちろんセックスの不満があっても絶対に表には出さない。だってサバービアの住人は品行方正な中流階級なのだから。性的欲求不満は電化製品がまぎらわしてくれるわ、ということなのだ。

 アメリカの大量消費社会は、多分に主婦の性的欲求不満が寄与していた、なんてことは経済学者は言わないが、それほどデタラメな言い方ではないと思う。

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