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14年式拳銃 ~連合軍将兵の戦場土産として人気を集めた名銃~

戦場の兵士が頼った腰に下げた「最後の切り札」【第二次大戦軍用拳銃列伝③】

■14年式拳銃

写真はトリガー・ガードの穴ぐりが大きくなった後期生産型の14年式拳銃。

 明治維新以降の日本は、欧米列強の経済力、技術力に追いつくべく、近代化を急速に推進した。特に当時、銃器は国力の象徴たる国軍の基幹兵器であったため、軍用小銃や軍用拳銃を国産できることは、一流国であることの証拠とされた。

 このような理由から、日本陸軍は銃器の開発に力を注いだが、そこから登場した逸材の一人が、1902年に南部大型自動拳銃を開発し、「国産拳銃の父」と称された南部麒次郎である。だが陸軍は、当時としては世界水準といえる同銃を、予算的な問題から制式化しなかった。

 その南部が技術士官として東京造兵廠に勤務していた頃、陸軍は改めて自動装填式拳銃(オートマチック拳銃)の制式化に意欲を示し、その開発が開始された。そして南部は助言者の立場でこの新型オートマチック拳銃の設計と開発に携わり、同銃は1925年、晴れて日本陸軍に初めて制式採用されたオートマチック拳銃で、しかも国産という栄誉を担った。同年は日本の元号では大正14年となるが、これにちなんで「14年式」の制式番号が付与されている。

 当時、日本軍士官の拳銃は軍刀と並び私物扱いで、各人が個人で購入していたが、そのほとんどが外国からの輸入拳銃で、弾薬もまた外国規格だった。しかし14年式拳銃では外国規格の弾薬を使用せず、南部の前作である南部大型自動拳銃に用いられていたのと同じ、日本独自の8mm南部弾を採用した。

 実は、南部大型自動拳銃が制式化されなかったため、8mm南部弾も輸出用や市販用として生産こそされていたものの、14年式拳銃の制式化にともない、やっと軍の制式弾薬になったという経緯がある。とはいえ同弾は、軍用拳銃弾薬としてはドイツの9mmパラベラム弾、アメリカの.45ACP弾に比べて、威力がやや弱かった。

 14年式拳銃の生産期間は約20年にも及んだため、その間に何度かの改修が施されている。例えば、極寒の中国大陸での戦訓に基づき、手袋をしたままでもトリガーが引けるように、穴ぐりが大きなトリガー・ガードが後期生産型の本銃には装備された。また分解時、薬室に弾薬が装填されていた場合の暴発事故を防ぐため、マガジンを抜き取ると作動するマガジン・セイフティーが組み込まれ、射撃時の衝撃でマガジンが脱落するのを防ぐマガジン・ストップ・スプリングも追加された。

 14年式拳銃は、さほど強力ではない弾薬をそこそこの重さの本銃で発射するので射撃時の反動がマイルドで、戦時生産の粗悪品が少なく、仕上がりの良好なものが多かった。そのため、日本と戦った連合軍将兵には、戦場土産として人気が高かったという。

なお、今日の銃器市場では骨董品的名銃として高値で取引されている。

【データ】
製造国:日本
製造開始年:1925年
全長:22.5cm
銃身長:12cm
重量:890g
装弾数:8発
使用弾種:8mm南部
ライフリング:6条/右回り

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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