高速魚雷艇の誕生 ~俊足自慢の小さな海の殺し屋~ |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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高速魚雷艇の誕生 ~俊足自慢の小さな海の殺し屋~

第二次大戦高速魚雷艇列伝①

■高速魚雷艇の誕生

自身の工場があったフィウーメで実験に使用した自らの手になる魚雷を検分するロバート・ホワイトヘッド(右)。1875年の撮影。

 フネ、特に防御能力を備えた軍艦というものは、喫水線よりも上に砲弾を受けるぶんには、相当な被害を被っても沈むものではない。だが喫水線よりも下に孔を穿って浸水させれば、たやすく沈んでしまう。 19世紀末、オーストリア・ハンガリー海軍士官でクロアチア人のジョヴァンニ・ビアジオ・ルピスとイギリス人技師ロバート・ホワイトヘッドは自走式の魚形水雷、いわゆる魚雷の開発に着手し、オーストリア・ハンガリー帝国政府のバックアップによってこれを完成させた。

 発射すれば反動が生じる砲とは違って、魚雷は自己推進機能を備えているので発射時に反動が生じず、簡便な発射装置から撃ち出すことができた。そこで、この魚雷を小型の高速艇に搭載して、敵の大型水上戦闘艦を攻撃するというアイデアが生まれた。火砲は口径が大きくなるほど方向転換が遅くなるので、照準がつけにくいように高速で敵艦船に迫り、魚雷攻撃を仕掛けようというわけだ。

 だが20世紀初頭には、まだ小型で高出力の船舶用エンジンが造られていなかった。そのため、高速が出せる蒸気機関を備えた小型艇に魚雷を搭載した水雷艇が建造された。だが蒸気機関では機関の重量に対する出力に限界があり、それほど高速が出せるわけではなかった。

 ところが、やがて機関重量に比べて高出力が出せる船舶用のガソリン・エンジンやディーゼル・エンジンが開発されると、ごく小さくて高速を出せるこれらのエンジンを搭載した小型の高速艇に、魚雷と自衛用の小口径火砲などを搭載した戦闘艇が開発された。これが高速魚雷艇の始まりである。

 この高速魚雷艇が開発されてからも、それより大型の水雷艇も命脈を保っていたが、両者を「狩る」ための水雷艇駆逐艦、すなわち後の駆逐艦が登場すると、「狩人」たる駆逐艦が魚雷も搭載するようになったため、ともに魚雷を搭載する小さな高速魚雷艇と大きな駆逐艦の間に挟まれた中間的なサイズの水雷艇は、やがて廃れてしまうことになる。

 この水雷艇や高速魚雷艇は、魚雷という必殺兵器を搭載していることから、「巨象」たる戦艦すら屠ることが可能な「蚤」であり、戦艦を保有できない経済力に欠ける小国にとって、きわめて魅力的な海上戦力となった。ただし水雷艇も魚雷艇も船型が小さいため遠洋での戦闘行動は困難で、もっぱら沿岸部でしか運用できなかったが、これら小国にしてみれば、自衛用兵器として必要十分な性能であった。

 次回からは、第二次大戦における主要参戦国の高速魚雷艇について紹介したい。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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