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世界で一番有名な歩兵携行対戦車火器、バズーカ【第二次大戦の歩兵携行対戦車火器】

歩兵を守る必殺の「戦車キラー」

■世界で一番有名な歩兵携行対戦車火器、バズーカ

朝鮮戦争中に撮影された3.5インチM20スーパーバズーカ(左)と2.36インチM9バズーカ(右)。大きさの違いが明瞭に見て取れる。

 バズーカ。

 この単語をご存知の方も多いのではないだろうか。第二次大戦で用いられた各種の歩兵携行対戦車火器の中で、バズーカはもっとも有名なものだといっても過言ではないだろう。

 アメリカ陸軍は、モンロー/ノイマン効果を応用したライフル銃で投擲するHEAT 弾頭のライフルグレネードM9を1941年に実用化したが、弾体自体に自己推進能力はなく、M1ライフルの空砲によって投擲するため、重量面での炸薬充填量の限界による装甲貫徹力の不足と、投擲距離の短さが問題視された。

 そこで1942年、陸軍兵器科のエドワード・ユール中尉とレスリー・A・スキナー大佐が、HEAT 弾頭を備えるロケット弾を発射する装置について考察した。というのも、自己推進能力があるロケット弾ならば、弾体重量をさほど気にする必要がなく、しかも射距離もライフルグレネードよりずっと長くなるからだ。

 何しろタマが自分の推進力で飛んで行ってくれるのがロケット弾なので、砲弾のように撃ち出す必要がないため、発射器本体は薄い鉄製のパイプでライフリングも施されてはいない。ロケット弾の弾尾に装着されているフィンが弾道を安定させるからだ。かような構造のため発射器は軽量で、ひとりの兵士が担いで楽に持ち運ぶことができた。

 1942年5月に試作品が完成してテストに供された結果、早くも翌6月にはロケットランチャーM1として制式化され量産開始となった。以降、発射器が2分割できるM9、軽量化されたM18が制式化されたが、基本構造に変化はない。

 発射するロケット弾は口径2.36インチ(60mm)のHETA弾頭を備えるM6系で、最初のM6は3インチ(76.2mm)、後期のM6A3/Cでは5インチ(127mm)の装甲を貫徹することができた。

 このロケットランチャーM1は、制式化されるとすぐにバズーカの愛称で呼ばれるようになったが、当時人気だった音楽芸人のボブ・バーンズが自作し愛用した金管楽器がバズーカと命名されており、これに似ていることから付けられたものだ。

 運用は、射手と弾薬手の2人で編成されたバズーカ・チームで行うのが原則で、弾薬手は予備のロケット弾の運搬と射手の護衛、それに敵情監視が任務で、もし射手が負傷や戦死で射撃できなくなった場合は代わりに射撃も行う。個人兵器としては、2人とも拳銃と短機関銃を携行することが多い。

 ロケット弾は発射時、後方に炎と推進薬の燃焼滓をすさまじい勢いで噴き出すため、発射器の背後が遮蔽された室内やトーチカ内で発射すると、吹き返しを受けて射手や弾薬手が重度の火傷などを負う危険があった。そのため、後方が広く空いた屋外での発射が原則だった。

 有効射程は約130mほどなので、バズーカ・チームには、迫りくる敵戦車が射程内に入るまでじっと待ち構える精神的タフさが求められた。また、バズーカは取り扱いが容易なので、非常時には一般の兵が運用することも少なくなかった。

 第二次大戦末期、強化され続けるドイツ戦車の装甲を貫徹するには口径2.36インチでは不十分と考えられ、口径を3.5インチ(89mm)に拡大したM20が開発された。これはスーパーバズーカと呼ばれたが、試作終了後に終戦となったため量産は行われなかった。ところが5年後に起こった朝鮮戦争において、口径2.36インチのバズーカでは北朝鮮軍のソ連製T34-85戦車を撃破できなかった。そこでM20が急遽量産されて朝鮮に送られ、T34-85を撃破できるようになったのだった。

 なお、バズーカ、スーパーバズーカともに多数がアメリカの同盟国に供与されたため、朝鮮戦争以降も多くの国で使用され続けた。

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白石 光

しらいし ひかる

戦史研究家。1969年、東京都生まれ。戦車、航空機、艦船などの兵器をはじめ、戦術、作戦に関する造詣も深い。主な著書に『図解マスター・戦車』(学研パブリック)、『真珠湾奇襲1941.12.8』(大日本絵画)など。


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