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中大兄皇子の不審な行動が意味するもの

聖徳太子の死にまつわる謎?

■『日本書紀』のいうような改革事業は、絵空事か?

写真を拡大 難波宮にも近い、聖徳太子の建立した四天王寺。

 大化改新といえば、律令制度が整備された画期的な出来事であったと、一般には信じられている。これは、『日本書紀』がそう主張するからである。

 ただし通説は、長い間「大化改新はなかったのではないか」と、疑ってきた。というのも、『日本書紀』の記事のなかに、七世紀半ばにはあるはずもない用語がちりばめられていたからだ。したがって、『日本書紀』のいうような改革事業は、絵空事ではないか、と疑われていたのである。

 ところが、難波宮そのものが、立派な宮だったことが分かり、出土した木簡には、 のちの律令制度につながる文字が、いくつも見つかったのである。

 この結果、律令制度がこの時点で整ったわけではないが、ようやく最初の一歩が踏み出されていたことが確かめられたのである。  

 

 大化改新によって、律令制度の第一歩は、確かに踏み出されていた。ただし実態は、「産声」にすぎなかったのである。それにもかかわらず『日本書紀』は、蘇我入鹿の死とともに、劇的な改革事業が完成したかのように装っていたことになる。

 この『日本書紀』の不自然な記述にこそ、大化改新の裏側に隠された本当の歴史を探るヒントが隠されていたのである。

 なぜこのような推論が成立するかというと、律令制度の整備を急ぐ孝徳天皇に対し、中大兄皇子は数々の妨害工作を働いたうえに、孝徳崩御後実権を握ったあと、律令体制の整備に消極的だったからである。

 その根拠を示そう。 まず第一に、中大兄皇子は孝徳天皇の晩年の白雉五年(654)、せっかく築き上げた難波の宮を捨て、ヤマトに戻ってしまっている。しかもこの撤退は、他の諸皇族、 諸豪族、おまけに孝徳の皇后まで道連れにしているのだ。

『日本書紀』によれば、孝徳天皇はこの中大兄皇子の仕打ちに悲嘆にくれ、無念の最期を遂げたという。

 律令制度の基礎となる新たな都造りを放棄してしまった中大兄皇子の行動は、まさしく斬新な制度に対する反動とみなすことができる。なぜなら、こののち天皇の宮は、ふたたび元のように転々と遷るようになってしまったからだ。

 そして第二に、ヤマトに都を遷してからの中大兄皇子は、むしろ時代に逆行するような行為を採りはじめている。また、実権を得てからの中大兄皇子の行動に対し、民衆の不満が噴出するような事態に陥っている。

 聖者・山背大兄王殺しの犯人である蘇我入鹿を殺し、蘇我氏の暗黒政治から民衆を 救ったうえ、国民に土地を公平に分配するという理想に突き進んだはずの中大兄皇子に対し、なぜ人々は不満をつのらせていったのだろうか?

(次回に続く)

 

『聖徳太子は誰に殺された?』(ワニ文庫)より

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関 裕二

せき ゆうじ

 



1959年生まれ。歴史作家。仏教美術に魅了され、奈良に通いつめたことをきっかけに、日本古代史を研究。以後古代をテーマに意欲的な執筆活動を続けている。著書に『古代史謎解き紀行』シリーズ(新潮文庫)、『なぜ日本と朝鮮半島は仲が悪いのか』(PHP研究所)、『東大寺の暗号』(講談社+α文庫)、『新史論/書き替えられた古代史』 シリーズ(小学館新書)、 『天皇諡号が語る 古代史の真相』(祥伝社新書)、『台与の正体: 邪馬台国・卑弥呼の後継女王』『アメノヒボコ、謎の真相』(いずれも、河出書房新社)、異端の古代史シリーズ『古代神道と神社 天皇家の謎』『卑弥呼 封印された女王の鏡』『聖徳太子は誰に殺された』『捏造された神話 藤原氏の陰謀』『もうひとつの日本史 闇の修験道』『持統天皇 血塗られた皇祖神』『蘇我氏の正義 真説・大化の改新』(いずれも小社刊)など多数。新刊『神社が語る関東古代氏族』(祥伝社新書)



 


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  • 2015.07.18