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大坂夏の陣・道明寺口と誉田の戦いをめぐる⑦玉手山古墳の奥田忠次墓

季節と時節でつづる戦国おりおり第368回

 古戦場碑の向かいは、玉手山一号古墳が保存されています。

 

 その墳頂はかつて墓地として使用され、そのなかでも奥田忠次の墓が目を引きます。

 

 忠次は徳川家旗本として幕府大和方面軍に加わり、この小松山の麓に布陣していました。基次は小松山に伊達家の片倉隊が置いていた伏兵を強行突破し山上を占拠するのですが、それを見た忠次は当初から一番槍をあげようと意気込んでいたこともあって山をよじ登り始め、激闘の末後藤勢によって討ち取られます。

 戦後、その働きによって子に500石加増。人の命が、現代の価値でいうと年収ベースで2250万円のアップにつながったのです。高いとも安いとも、なんとも評価のしようがございません。

 

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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