■僧の姿をしていた江戸の医師

 食生活で脚気を改善できることに気づいていた医師もいました。1573年に書かれた『済民記』には、小豆、黒豆、蕎麦、ゴボウ、黍、そしてキジや猪の肉がよいと記載されています。いずれもビタミンB1を多く含む食品です。少し時代がくだると、白米の食べ過ぎをやめて粗食にせよという記述もあらわれます。血液検査も顕微鏡もなかった時代でも、注意深い観察と経験を通じ、医師らはかなりのところまで病気の真相に迫っていたのです。

 江戸時代には社会に大きな変化がありました。身分制度が確立されたことと、鎖国政策を取ったことです。安土桃山時代までは兼業農家の武士が少なくありませんでしたが、江戸時代になると武士は武士、農民は農民と定められ、生まれたときに身分が決まるようになりました。

 唯一の例外が医師です。高名な医師に弟子入りし、10〜20年間修業して師匠に認められれば、生まれをとわず、誰でも医師になることができました。身分制度からはずれ、世俗を離れた存在であったため、医師らは頭をそり、僧の姿をしていました。そのため、男子禁制だった江戸城の大奥にも治療のために出入りでき、地位の高い武家の病気をいやした医師のなかには破格の出世をとげる者もありました。

 治療の中心は漢方薬と鍼です。この時代になると、中国大陸の医学をそのままの形で実施するのではなく、日本の風土と日本人の体に合うよう改めたうえで、国内で採集した薬草を使って治療するようになっていました。現在も広く行われている漢方治療は日本で独自に発展したものです。全国各地で薬草の栽培も始まりました。

 

 しかし、感染症に対する治療は思うにまかせません。疱瘡と呼ばれた天然痘が流行するたびに、昔ながらのまじないが行われました。この時代になると天然痘はすっかり日本に根づき、頻繁に発生するようになっていました。

 天然痘を起こす悪い神様は赤い色が苦手だとか、逆に赤色を見ると機嫌が良くなると考えられていたことから、患者も家族も赤い色の着物を身につけ、部屋に赤い屏風をめぐらして、子どもには赤いおもちゃを与えました。現代まで受け継がれる郷土玩具のなかにも、もとは天然痘よけに作られたものがあります。図13は福島県の会津地方に伝わる「赤べこ」です。赤い張り子の牛で、子どもが天然痘にかからないようにとの願いがこめられています。

図13 会津の赤べこ 赤べこは和紙でできた郷土玩具で、首がゆらゆらゆれます。「べこ」は東北地方の方言で牛のことです。

 天然痘に負けない人物として、源為朝や、おとぎ話の桃太郎、金太郎らを赤を基調に描いた絵も人気でした。このうち桃太郎の赤絵を図14にかかげます。歌舞伎役者のような桃太郎が、おともの犬を連れていますね。

図14 桃太郎の赤絵 桃太郎だけでなく、おともの犬にも注目です。犬は、「立ち去る」という意味の「いぬ」と音が同じことから、天然痘が去るという語呂合わせになっているそうです。内藤記念くすり博物館所蔵

 為朝は平安時代後期の武将で、弓の名人でした。伊豆大島に流罪になった為朝が、周辺の島々を平定しながら八丈島に渡ったところ、天然痘の神様が住んでいたので従わせたというのです。

 八丈島にはそれまで天然痘の発生がなかったことから生まれた伝説ですが、種明かしをすると、八丈島が離れ小島だったために、天然痘ウイルスが侵入していなかったのです。しかし、この伝説は当時広く知られていたため、天然痘がはやるたびに為朝をデザインした絵が飛ぶように売れ、お見舞いとして使われました。

(連載第12回へつづく)