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高槻城の堀跡①

季節と時節でつづる戦国おりおり第365回

 本ブログではたびたび取材させていただいております、高槻城跡。
 今回も、2月2日におこなわれた発掘調査現地説明会に参加して参りました。場所は昨年と同じ、二の丸跡です。

 

 

 逆光で見えにくいと思いますが、写真右奥が南隣りの本丸跡にある槻の木高校の学舎です。

 

 東側から見たところ。正面、堀跡が埋められた跡が土の表面に線となってハッキリ表れていますね。

 

 北東角から見た様子。石垣と石止め用の杭が並び、そこから落ち込んで堀が左右に延びています。説明員の方の足元には、障子堀(障子の桟のように畝を残して掘り下げ、凹みには泥を敷く)の跡。

 障子堀といえば関東の後北条氏の山中城のものなどがよく知られていますが、それに比べるとこの高槻城のものはかなり畝の高さが低く(30センチ程度)、山中城のものが1~2メートルあるのと比べればスケール感で劣っています。

 しかし、ここから敵が攻めようとして堀を渡ると足を取られる程度には充分深い泥を敷けたでしょうし、畝もつまづいて転倒する程度には高いので、これで機能は満たせているのです。

 説明員の方も「後北条氏の障子堀とは発想の系統が違う発達過程のものかもしれない」と仰っておられましたが、豊臣大坂城の三の丸の障子堀が、地域的にも時代的にも高槻城のものと同系統なのかも知れません(畝が高い部分もありますが)。

 とにもかくにも、障子堀はいかにも実戦の城という感じがして良いですね。

 

(2003年大坂城三の丸跡発掘現地説明会から)

 
 
 

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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