「泣くことでしか伝えられないこと」〜教師と子どもはいかにして繋がることで互いに学んでいくのか【西岡正樹】

6年前、私は3年生を担任していました。その教室にいた聡(さとし 仮名)は、4月、5月と2か月間、毎日のように泣いていました。ある時は、「ドッジボールを僕が持っていくのに、誰かが先に持って行った」という理由で泣き、ある時は、「圭太(けいた 仮名)は僕の言うことを聞かずに、自分のことばかりを話す」と言って泣いた。また、ある時は「授業中に先生は自分を指名(さ)してくれなかった」と言って泣く始末なのです。
それを見ている子どもたちは「どうしてそんなことぐらいで泣くのだろう」と思っていたにちがいありません。子どもだけではなく、担任の私も、時に「こんなことで泣くな」と思うことが多々ありました。
しかし、「こんなことで泣くんじゃない」と言っても聡は泣いてしまう。不毛なやり取りの繰り返しです。
「『こんなことで』を繰り返してもイライラが募るばかり、まずは、聡の言動を受け入れ対応することにしよう」そのように自分の頭を切り替えることにしました。
その後、クラスの子どもたちも、月日の経過とともに、聡との関わり方が少しずつ分かってきたようです。子どもたち自身に余裕がある時は、聡に合わせることが多くなりましたが、そこは「ギャングエイジ」と呼ばれる年代の子どもたちです。いつも同じような状況でいられるはずもありません。ある日の朝のことでした。
朝の運動場、私のクラスの子どもたちは、ほぼ毎日、大勢集まってドッジボールをやっています。(私は毎朝、コーヒーを飲みながら、職員室から子どもたちが遊んでいる様子を見るのが好きです)
その日もドッジボールでした。外野にいる子どもと中にいる子どもが声を合わせてボールを投げ合っているのが見えます。敵を誘導し、当てやすい子どもを見つけては、そのターゲットに向かって早いボールを投げつける。逃げ遅れた敵をしとめる姿を見ていると、まるで集団で狩りをしている狼のようです。しかし、いつもうまくいくわけではありません。投げたボールが敵に当たらずに、外野を転々とすることもしばしばです。
再び、ボールが外野を転がっていきます。外野にいる子どもたちが一斉にボールに向かって駆け出しました。これは、あきらかに足の速い者がボールを取るパターンです。案の定、足の速い悟(さとる 仮名)が簡単にボールを手にしました。足の遅い聡は、当然追いつくことはできません。無情にも、そのようなことが何度も繰り返されていきました。その度に聡の悔しさは心の中に溜まっていったにちがいありません。それでも、そんな気持ちを顔に出さず、聡は大勢の後ろから黙々とボールを追い続けていました。
時に、幸運は転がり込んでくるものです。聡が少しうしろで待機している所にボールが飛んできたのです。聡は今度こそ自分のボールにしようと、必死に追いかけました。
「やっと自分のものになるぞ」 聡のそんな気持ちは、遠くから見ている私にも手に取るように分かりました。半笑いしている聡の顔が、それを物語っています。ボールまであとわずか! 聡のスピードが落ちたその一瞬でした。あろうことか、トンビのような速さでやってきた悟の手がボールを掴み、走り去ったのです。