別れた相手を徹底的に拒絶し、彼との記憶を削除することでしか、私は前に進めない。なぜなら・・・【神野藍】
神野藍 新連載「揺蕩と偏愛」#6
早稲田大学在学中にAV女優「渡辺まお」としてデビューし、人気を博すも大学卒業とともに現役を引退。その後、文筆家・タレント「神野藍」として活動し、初著書『私をほどく〜 AV女優「渡辺まお」回顧録〜』を上梓した。いったい自分は何者なのか? 「私」という存在を裸にするために、神野は言葉を紡ぎ続ける。新連載「揺蕩と偏愛」がスタート。#6「別れた相手を徹底的に拒絶し、彼との記憶を削除するしか、私は前に進めない。なぜなら・・」

◾️記憶を編集できる人間に私はなれない
一週間ぶりに郵便受けを開ける。これでもかというぐらいに詰め込まれた紙の束を掴み、外へと引っ張り出す。ぱらぱらと数枚手からこぼれ落ちて地面に落下した。そろそろ「チラシお断り」みたいなステッカーを買おうかと思ってしまうけれど、たまに届く宅配ピザのチラシを眺めるのが好きで、なかなか実行に移せない。一人であんなに大きいピザを注文するわけでもないのに、なぜか癖で隅から隅までチェックしてしまう。紙の束をどうにか掴み直し、自分の部屋へと向かう。手から溢れ出さないように抑える指に力がこもる。どうにか鍵を差し込み、ドアを開けた。テーブルの上に紙の束を落とすと、ばさっと音を立てて広がった。
要る、要らない、捨てる、一旦見る。機械になったかのように選別していく。大量のダイレクトメールの中に厚みのある封筒が混ざっていた。宛先が書いてある部分には何枚も転送のシールが重なっている。
合計で三枚。
一年の転送期限の中で三回も棲家を転々とした。差出人は過去に住んだ街だった。
転出届をとっくの昔に出したはずなのに、部署間で何も共有されていないのだろうか。もう二度と住まないし、できれば自分から進んで足も踏み入れたくない。
ふと訪れる過去の匂いは私の記憶を呼び戻し、過去の時間へと連れ戻そうとする。思い出させるのはあの人が最後に作ってくれたカレーライスと、じんわりと部屋に立ち込めるカビ臭さだった。
仲の良い友人が「元々友達として付き合いもあったし、完全に元に戻ったわけではないけれど、別にうまいことやっていけるよ」と話しているのを聞いて愕然とした覚えがある。別れの原因や理由は違うにせよ、そんな風に相手との時間や名前を上書きしていけるのかと思ってしまっていた。
友人たちは記憶を編集できる人間であったが、私は削除するしかない人間だった。
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✴︎目次✴︎
はじめに
#1 すべての始まり
#2 脱出
#3 初撮影
#4 女優としてのタイムリミット
#5 精子とアイスクリーム
#6 「ここから早く帰りたい」
#7 東京でのはじまり
#8 私の家族
#9 空虚な幸福
#10 「一生をかけて後悔させてやる」
#11 発作
#12 AV女優になった理由
#13 セックスを売り物にするということ
#14 20万でセックスさせてくれませんか
#15 AV女優の出口は何もない荒野だ
#16 後悔のない人生の作り方
#17 刻まれた傷たち
#18 出演契約書
#19 善意の皮を被った欲の怪物たち
#20 彼女の存在
#21 「かわいそう」のシンボル
#22 私が殺したものたち
#23 28錠1シート
#24 無為
#25 近寄る死の気配
#26 帰りたがっている場所
#27 私との約束
#28 読書について1
#29 読書について2
#30 孤独にならなかった
#31 人生の新陳代謝
#32 「私を忘れて、幸せになるな」
#33 戦闘宣言
#34 「自衛しろ」と言われても
#35 セックスドール
#36 言葉の代わりとなるもの
#37 雪とふるさと
#38 苦痛を換金する
#39 暗い森を歩く
#40 業
#41 四度目の誕生日
#42 私を私たらしめるもの
#43 ここじゃないどこかに行きたかった
#44 進むために止まる
#45 「好きだからしょうがなかったんだ」
#46 欲しいものの正体
#47 あの子は馬鹿だから
#48 言葉を前にして
#49 私をほどく
#50 あの頃の私へ
おわりに