別れた相手を徹底的に拒絶し、彼との記憶を削除することでしか、私は前に進めない。なぜなら・・・【神野藍】
神野藍 新連載「揺蕩と偏愛」#6
◾️結局私が恐れていたこととは何か?
拒絶することでしか相手との時間を乗り越えられない。私の中に良い感情の欠片を一つも残すことなく、全てを壊し、黒く塗りつぶした。それは記憶の中でも、現実の世界でも一緒だ。誰かが存在した痕跡を一つ残らず消し去るのが常であった。「そこまでやるの面倒じゃない?」と聞かれたが、分かりやすい現実の行動一つ一つが、私を淀みの中から掬い上げてくれるような気がしていた。
だからこそ、相手が最後に残した「離れ離れになっても応援し合える関係でいたい」という言葉に対して、「そんな訳ないだろ」という言葉を世界に生み出す前に、本人の前で預けていた共用のクレジットカードを目の前で真っ二つに折った。パキッと音を立てたとき、折れたものは何だったのだろうか。
真っ黒に塗りつぶした海の中、結局認めたくなかったのは、私が恐れていたのは己の身を焦がした相手からの拒絶だった。先手を打つことでしか、私を守れなかった。
謝りたいとは思わない。
過去の私の行動は私にとっては救いではあったが、こうやって文章を綴っているのには贖罪の意味が込められているわけではない。相手に傷つけられたのと同様に、私も同じくらいの重さを込めて相手を傷つけていたことを受け入れただけ。瘡蓋(かさぶた)となった傷をそっとなぞることでしか未来の道を切り開くことができない。きっとその繰り返しの中で、己の皮を剥(は)がしているのだろう。新しく現れた人間とうまくやっていけるようにと願いながら。
知り合ったばかりの人間に、ふと昔の傷跡について問いかけられた。こういうやり取りはよくある。私の口からこぼれ落ちる昔の記憶たちは面白さという毒を含んでいる。相手をじっと見て毒の濃度は変化させているが、それでも相手から返ってくるのは「え、そんな話って本当にあるんだね」という少し哀れみがありながらも、興味を滲ませた言葉であった。
私は「本当だよ」と答える。
場の温度を確かめながら、一つ一つの言葉を選んでいくが、言葉の裏にある私の気持ちを吐き出すことはしない。
私の世界の外側で、どうか幸せでいてほしい。
私の心の中で生まれた思いは、きっと一生口にはしない。
文:神野藍
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✴︎目次✴︎
はじめに
#1 すべての始まり
#2 脱出
#3 初撮影
#4 女優としてのタイムリミット
#5 精子とアイスクリーム
#6 「ここから早く帰りたい」
#7 東京でのはじまり
#8 私の家族
#9 空虚な幸福
#10 「一生をかけて後悔させてやる」
#11 発作
#12 AV女優になった理由
#13 セックスを売り物にするということ
#14 20万でセックスさせてくれませんか
#15 AV女優の出口は何もない荒野だ
#16 後悔のない人生の作り方
#17 刻まれた傷たち
#18 出演契約書
#19 善意の皮を被った欲の怪物たち
#20 彼女の存在
#21 「かわいそう」のシンボル
#22 私が殺したものたち
#23 28錠1シート
#24 無為
#25 近寄る死の気配
#26 帰りたがっている場所
#27 私との約束
#28 読書について1
#29 読書について2
#30 孤独にならなかった
#31 人生の新陳代謝
#32 「私を忘れて、幸せになるな」
#33 戦闘宣言
#34 「自衛しろ」と言われても
#35 セックスドール
#36 言葉の代わりとなるもの
#37 雪とふるさと
#38 苦痛を換金する
#39 暗い森を歩く
#40 業
#41 四度目の誕生日
#42 私を私たらしめるもの
#43 ここじゃないどこかに行きたかった
#44 進むために止まる
#45 「好きだからしょうがなかったんだ」
#46 欲しいものの正体
#47 あの子は馬鹿だから
#48 言葉を前にして
#49 私をほどく
#50 あの頃の私へ
おわりに