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平成の吉田松陰と台場めぐり

外川淳の「城の搦め手」第86回

■平成の吉田松陰

 吉田松陰は、異国船が日本に襲来するという危機感から、西洋兵学習得の必要性を感じ、佐久間象山に師事した。

 また、海に囲まれた日本がどのようにしたら、異国船の襲来に対処できるかを考えるため、全国の海岸線を巡り歩いた。

 長州藩の海岸線を手始めに、江戸遊学中には江戸湾を巡回。その足跡は、北は弘前藩領から、南は熊本藩領に及んでいる。

 松陰の目に映った光景は、異国船の襲来を受けたら、なすすべもない現状であり、あまりにも無防備な現状に危機意識を高めながら、黒船来航の日を迎えることになる。

 さて、私は、日本全国の遺構が伝えられる台場を探査することをライフワークとしている。つまり、私の台場巡りは、150年以上前、松陰が巡った道を辿っているともいえるのだ。

 そのことに気付かせて下さったのは、島原城資料館専門員の松尾卓次先生だった。2000年4月、九州方面の台場探査の途中、島原城へ。なにかしらの情報がえられるかと思い、天守内の事務所に声をかけたところ、対応して下さったのが松尾先生だった。

 先生は、新田台場には当時の石垣が残されていることをご教示くださった。のみならず、お車で現地まで行き、石垣の位置を示していたただいた

 

写真を拡大 島原藩新田台場略測図 作成=外川 台場には旅館が建設されているものの、基礎部分の石垣が部分的に残される。

 私は、歴史雑誌の編集者だった経験があり、会話の流れから、先輩の編集者と松尾先生が知己であることがわかった。すでに編集者をやめて、20年以上の歳月が経過しているものの、
 編集者時代に築いた人脈は、ずっと機能しているともいえる。

写真を拡大 島原藩新田台場石垣 高さ3メートル。加工された石材が積み上げられる。

 全国の台場巡りについて、話をしていると、松尾先生は私の行為を「平成の吉田松陰」とたとえられた。
 以来、私は平成の吉田松陰の名に恥じない台場研究者(探検家)となるべく、各地の海岸線を巡り歩いている。

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外川 淳

とがわ じゅん

1963年、神奈川県生まれ。早稲田大学日本史学科卒。歴史雑誌の編集者を経て、現在、歴史アナリスト。



戦国時代から幕末維新まで、軍事史を得意分野とする。



著書『秀吉 戦国城盗り物語』『しぶとい戦国武将伝』『完全制覇 戦国合戦史』『早分かり戦国史』など。



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