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エスカレーターの「片側空け」から学ぶ法哲学

「片側空け」はじつはルール違反だった!?

■歴史上、議論が常に続けられてきた、「法」と「道徳」の関係

 ところが、殺人や窃盗のように、社会の多くの人の道徳観が一致する場合は、現代でも法と道徳が一致することとなる。問題となるのは、多くの人の道徳観が一致しても、一定数の反対が存在する場合である。

 例えば、キリスト教において人工妊娠中絶は悪とされてきたため、キリスト教圏である欧米では法によって中絶が禁止されてきた。しかし、強姦されて身ごもった場合や、出産によって母親に生命の危険があるような場合でも中絶が悪なのかといえば、必ずしもそうとは言い切れないのではないだろうか。

 また、中絶を法で禁止することは女性が自分で生き方を自由に決める権利に抵触するとも考えられる。そもそも、社会の大部分がキリスト教信者であったとしても、信仰の自由が保障されているのであれば、個人がキリスト教の教えに従う必要はない。そのため、欧米では現代でも中絶を法で禁止すべきかどうかという点について、論争が続けられている。

 ドイツの法学者イェリネック(1851~1911)の言葉に「法は道徳の最小限」というものがある。法と道徳は、完全に別々のものではなく、最小限の範囲で重なり合っているのである。

 一方で、法と道徳を完全に別物と考え、手続きと形式の正当性に法の正当性の根拠を置く考え方もある。これによって、法の正当性の根拠を法以外の何かに求めることなく、法そのものに置けるようになる。イェリネックの考えを発展させたケルゼン(1881~1973)の「純粋法学」という考え方である。

 しかし、いかなる悪法であっても手続きと形式の正当性があれば法として認められるのかという問題が生じる。例えばナチス時代にドイツで制定された法に従って為されたユダヤ人排斥のような明確に正義に反する行為が、「合法的」だからといって何でも正当性を認められるのかというようなことである。

 このように、法と道徳の関係は、法哲学の観点から深く考察され、議論が続けられてきた。

次のページエスカレーターの上で対立する「法」と「道徳」

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大賀 祐樹

おおが ゆうき

1980年生まれ。博士(学術)。専門は思想史。

著書に『リチャード・ローティ 1931-2007 リベラル・アイロニストの思想』(藤原書店)、『希望の思想 プラグマティズム入門』 (筑摩選書) がある。


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