○行動力30%(偏官)

 行動力とは、頭で考えるよりも行動で結果を出そうとする星。中でも「偏官(へんかん)」は、短気で攻撃本能が強い。野性的な星でもあり、いわゆるヤンキーのイメージだろうか。
 雲浜というと、このイメージが強いだろうか。小浜藩が京都に設けていた望楠軒(ぼうなんけん)で講義をしていた際、「海防策建白書」を出して、国防問題に関心を持たない藩の姿勢を批判した。これにより藩は激怒。最終的にクビになっている。ペリーが来航すると、条約に反対し外国人排斥を訴え、ロシア艦襲撃を企てた。また、将軍継承問題が起こると、一橋派の尊王攘夷を求める志士たちの中心となり、徳川幕府を激しく批判している。水戸藩に戊午の密勅を降下させることに成功したが、これが最終的に安政の大獄での逮捕につながっている。
 知性の星を持ち合わせていないところを見ても、頭で考えるよりも先に行動するタイプで、時の大老、井伊直弼に危険視されるほど、行動的攻撃的な人物だったのだろう。

○自立心30%(比肩)

 自分の信じた道を突き進み、リーダーシップを持っている。中でも「比肩(ひけん)」は、一匹狼で職人気質。頑固で負けず嫌い、マイペースであり、強い自立心を持っている。
 安政の大獄で初(諸説あり)の逮捕者となった雲浜。取調では、箒尻(ほうきじり)で何度も打たれる等、激しい拷問を受けたという。しかし、「攘夷の大義」とだけ述べ、何一つ口を割らなかった。自分の信念をもってただひたすらに突き進む、そのような強い自立心を持っていたのだろう。結局は病気にかかり獄中で亡くなっている。

○人脈20%(正財 偏財)

 人脈は、気遣いができて誰とでもコミュニケーションが取れる星。また、お金の星でもあり、お金に縁がある。中でも、「正財(せいざい)」は、真面目で慎重派。大事な人脈を手に入れ信頼関係を築ける。結婚運の星でもある。「偏財(へんざい)」は、幅広い人脈を持つ。お人よしで断れない性格のため、騙されやすい面もある。恋愛運の星でもあり女性にモテる。

 貧乏暮らしだった雲浜だが、妻に恵まれた。27歳の時に近江大津にいた上原立斎(りっさい)に入門するが、立斎は雲浜の学識、態度、言葉遣いにただならぬものを感じ、「弟子としてでなく友人として付き合いたい」と言って居候させた。その家には15歳の信(のぶ)がいたが、和歌、華道、琴をし、薙刀でもかなりの腕前を持つ才色兼備の女性だったという。立斎は雲浜に「娘をもらってほしい」と頼んだ。当時雲浜は京都で学問を教えていたが、いい話があっても「金で学問は売れない」と断るためほとんど収入がなく、「妻を養える能力がない」と拒否をしたが、信も「貧乏はいとわぬ」と言うために二人は夫婦になった。お金ではなく、男性として魅力があったのだろう。

 結婚後も貧乏生活が続くが、家には尊王攘夷の同志達が入り浸った。来れば酒肴を出してふるまい、一文無しの者には小遣いも与えたというから、時には米も味噌も底をついた。しかし、信は貧乏生活にめげず懸命に雲浜を支え続けた。

 こんなエピソードも残る。頼三樹三郎が家を訪ねた際、信に琴を聞かせてほしいと頼んだという。すると、信は「隣の部屋で弾きます」と言って、いかなることがあってもふすまを開けないように言い残した。しばらくして届く琴の音色に三樹三郎は大変喜んだそうだが、ふすまの先で信は長襦袢一枚の姿だったという。生活が苦しく、それまで琴を質に入れていたため、急遽質屋に走り、琴と引き換えにその日に着ていた着物と帯を預けたのだ。琴を弾き終えしばらくすると、また何事もなかったように着物を着て接待を続けたという。

 やがて信は29歳の若さで結核により亡くなり、その後雲浜も獄中死するが、雲浜が生涯手放さなかった小箱の中には、信の位牌が入っていた。お金はなくても、素晴らしい妻に恵まれたのは、まさに結婚運、恋愛運の賜物と言えるだろう。

「正財」「偏財」はお金の星でもあるが、ずっと貧乏だったわけではない。コンサルティングをやってのけ、最終的に貧乏生活を脱している。この点については、十二運星のところで触れる。

○遊び心20%(傷官)

 生活に遊びを自然に取り入れることができる星。中でも「傷官(しょうかん)」は、芸術性が高く交渉能力も高い。ナイーブで傷つきやすい星でもある。
 雲浜の芸術性が高かったか否かは文献からは解釈できない。しかし、雲浜が牢獄で読んだとされる辞世は有名だ。「君が代を 思ふ心の ひとすぢに 吾が身ありとも おもはざりけり」これは「一身を忘れて、天皇家の繁栄を一心に祈っている」を意味する。愛国の精神が表現された名歌百選「愛国百人一首」にも選ばれている。今世においても人の心をゆさぶる歌を詠む雲浜は、芸術性が高く、その分ナイーブな部分も持っていたのだろう。

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