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評論家・宇野常寛をつくった少年時代の「強烈な体験」とは?

宇野常寛さん3月毎日更新 Q1. 宇野さんはどんな子どもでしたか?

「BEST T!MES」連載30問30答、3月は宇野常寛さんを特集! 自ら企画ユニット『PLANETS』を主宰、近年はメディアでの活躍も増える中、評論家として最新作『母性のディストピア』が大ヒット中。多彩な活動を続ける彼の「素顔」に30の質問で迫ります。

現実にも、自分の人生にも興味がなかった

 

 父親が転勤族だったので頻繁に引っ越していました。生まれたのは青森県の八戸でしたが、長崎に引っ越し、その後は千葉に行き、また八戸に戻って、さらにまた長崎に行き、その次は帯広というように、めちゃめちゃ動いていましたね。だから、「地元」という感覚が正直わからないです。5年以上住んでいた土地は京都と東京くらいで、いずれも20歳を過ぎてからです。

 引っ越しを繰り返すという体験は、結構強烈なものでした。土地柄の違いというよりは、むしろクラスごとのソーシャルグラフとキャラクター設定というか、空気とか不文律みたいなものが当然ですけど転校先ではまったく違うわけですよ。例えば、小学校の先生が一人一人に賞状をあげるでしょう? 絵が上手な人には「お絵かき大賞」や足が早い人には「かけっこ大賞」とか。ああいうの、意味がないんだなって子供心に痛感していましたね。でも当時の……今もかな? 地方の公立の小中学校って、クラスの中のキャラクター設定とか、小さな物語とかってものすごく大切にされるじゃないですか。通っている同級生たちもみんなそうだし、先生もそう。でも僕はたとえ割りかし好きなクラスに当たっても、どっかで入れないなあ、って考えちゃう子供でしたね。なんだか全員で鈍感になって薄ら寒いお芝居をしている気分になって、苦手だなってずっと思っていました。

 

 あとはまあ、体があまり丈夫ではなかったので、インドア派の子どもでもした。低学年の頃は社会とか国語よりも理科の方が好きで、生物や鉱物、宇宙などの図鑑を見るのがとにかく大好きで。やはり、目の前の現実には興味がなかったですね。だから、学校の授業も上の空ですし、とにかく退屈。そのせいで学校の先生に気に入られた記憶がありません。先生の話は聞いていないし、学校行事も特に頑張らない。忘れ物も頻繁にするし。大事なことだと思ったらちゃんとやっていたでしょうから、当時はそういったことが重要だと思っていなかったんでしょうね。

 現実に興味がなかったので、自分の人生にも興味はありませんでした。将来の夢みたいなものもなし。アニメや特撮はまあ、普通に子供として好きでしたけど、今やっている仕事をしているとは想像もしていませんでした。そもそも今の職業を、当時の僕に言ってもよくわからないでしょうね。地方の半ズボン少年にとって、僕が今やっているような仕事があること自体想像もできないでしょうから。

〈明日の質問は…… Q2.「思春期の宇野青年について教えてください」です。〉

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宇野 常寛

うの つねひろ

評論家。1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)。石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)、『静かなる革命へのブループリント この国の未来をつくる7つの対話』(河出書房新社)など多數。企画・編集参加に「思想地図 vol.4」(NHK出版)、「朝日ジャーナル 日本破壊計画」(朝日新聞出版)など。京都精華大学ポップカルチャー学部非常勤講師、立教大学社会学部兼任講師など、その活動は多岐に渡る。


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  • 宇野 常寛
  • 2017.10.26