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サッチーの一言が私の背中を押し続けた

急逝したサッチーとの思い出を含め、 野村の哲学を育んだエピソードの数々。

2月28日発売 『野村の哲学ノート なんとかなるわよ』

急逝したサッチーとの思い出を含め、

野村の哲学を育んだエピソードの数々。

<人間の条件について>」

「人は何のために生まれてくるのか?」

「何のために社会に存在しているのか?」

 それは「世のため人のため」ということに尽きる。

 

 人は一人で生きていくことなどできない。むしろ、世の中や人に生かされているといったほうが正しく、常日頃から、「自分は誰かに支えられて生きている」という感謝の気持ちを持って、行動していかなければならない。それこそが、人間が生きるための条件なのである。

言葉が人生を変える。

亡き妻サッチーの一言が私の背中を押し続けた。

「年齡を重ねるほど、自分に対して直言してくれる人がいなくなる。

実は私にはひとりいる。いや、いた。それが、妻の沙知代である」

【目次】

序章  私はもともと弱い人間である

第1章 人間3人の友を持て

第2章 夢とは生きる力である

第3章 覚悟に勝る決断なし

第4章 中心なき組織は機能しない

終章  言葉は信頼を得るための武器である

 

以下<序章 私はもともと弱い人間である>より抜粋

 南海ホークスを解任された私は、今後の身の振り方について早く考えなければならなかった。 

 ただ、スキャンダルの影響が予想以上に大きく、予定されていた日本シリーズのゲスト解説の話もなくなり、

「俺はもう、プロ野球の世界で生きていくことはできないのか……」

とも思い始めていた。そんなとき、

「大阪なんて大嫌い。東京に行こう!」

 と言い出したのが沙知代だった。

 自動車にわずかな荷物を載せ、東京へ向かうこととなった。

 まさに裸一貫での出発だった。

 しかし、私は生まれてこのかた関西で暮らしていた人間だっただけに、

東京に何かアテがあるわけではなかった。

「これからどうやって生きていけばいいんだ、俺は。お先真っ暗だ……」

 マイナス思考の私は心の底からしょげまくり、自動車を運転して東名高速を走っているときも、ひとりで愚痴ばかりこぼしていた。

 そんなとき、沙知代が大きな声で口にしたのが、

 「なんとかなるわよ」

 という言葉だったのである。

 

野村克也

Nomura Katsuya

1935年、京都府生まれ。京都府立峰山高校を卒業し、1954年にテスト生として南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)に入団。1965年に戦後初の三冠王になったのをはじめ、MVP5回、首位打者1回、本塁打王9回、打点王7回、ベストナイン19回、ダイヤモンドグラブ賞1回などのタイトルを多数獲得した。1970年からは選手兼任監督となり、その後、ロッテオリオンズ、西武ライオンズに移籍。1980年に45歳で現役を引退、解説者となる。1989年に野球殿堂入り。1990年には、ヤクルトスワローズの監督に就任し、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。1999年から3年間、阪神タイガースの監督、2002年から社会人野球のシダックス監督、2006年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任。2010年に再び解説者となり、現在、多方面で活躍中。

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野村 克也

のむら かつや

1935年、京都府生まれ。1954年にテスト生として南海ホークスに入団。1980年に45歳で現役を引退、解説者となる。1990年には、ヤクルトスワローズの監督に就任し、4度のリーグ優勝、3度の日本一に導く。1999年から3年間、阪神タイガースの監督、2002年から社会人野球のシダックス監督、2006年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督を歴任。2010年に再び解説者となり、現在、多方面で活躍中。


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