隠岐に流された後醍醐天皇 実は天皇の証・三種の神器を持っていた |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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隠岐に流された後醍醐天皇 実は天皇の証・三種の神器を持っていた

徹底検証! 「三種の神器」争奪戦の真相 第5回

「建武の新政」以降の三種の神器の行方

 後醍醐は同年6月5日に還幸すると、積極的に新政策を打ち出した(建武の新政)。後醍醐はさまざまな政策を行ったが、各地で不満が噴出し、やがて建武政権は行き詰まりを見せ破綻する。
 2年後の建武2年(1335)に中先代の乱が勃発すると、尊氏は反乱を鎮圧するため京都を進発し、鎌倉奪回に成功した。しかし、尊氏は後醍醐の再三の説得にもかかわらず、上京することはなく、以後、後醍醐派と尊氏派に分かれて、各地で戦いが繰り広げられた。

 翌建武3年(1336)6月14日、尊氏は光厳上皇を奉じて入京した。同年11月7日には、「建武式目」を制定している。この間、後醍醐そして三種の神器の行方は、どうなったのであろうか。
 少し遡った同年正月、尊氏が京都に侵攻すると、後醍醐は三種の神器を伴って、慌しく延暦寺に逃れた(「阿蘇文書」)。後醍醐は行幸に際して、三種の神器を忘れずに携行しているので、それが天皇の地位を示す唯一の拠り所であったのはたしかだ。

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渡邊 大門

わたなべ だいもん

1967年生。歴史学者。佛教大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、株式会社歴史と文化の研究所代表取締役。 『本能寺の変に謎はあるのか?』晶文社、『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか』PHP新書、『明智光秀と本能寺の変』ちくま新書、『光秀と信長 本能寺の変に黒幕はいたのか』草思社文庫など著書多数。


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