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昭和から平成へ…お風呂文化の変遷

我が家の風呂の戦後史③

「お風呂に入る」といえば、かつては銭湯へ行くのが主流だった日本。いったいいつから、どのようにして「内風呂」文化は生まれ、広まっていったのか。コラム「我が家の風呂の戦後史」、第3回は昭和から平成にかけて多様化していくお風呂を紹介する。

◆床暖房や浴室乾燥装置など風呂場は劇的に多様化した

「昭和50年代になると、ガス風呂釜も、マイクロエレクトロニクスの技術を応用した全自動機能を持つようになりました。一定の時間であれば、お湯をちょうどいい温度に保っておくことができるようになったのです」。
 東京・小平市にあるガスミュージアムの副館長で学芸員の高橋豊さんは言う。湯船に浸かる日本人の入浴法に変化が起こる。欲しいときにいつでもたっぷり温かいお湯を使えるから、お湯が冷めないうちに、家族が次々にお風呂に入るという入浴習慣が変わる。家族は、バラバラに、好きなときに入浴するようになったのだ。

 風呂設備の進化にともない、入浴文化も変化した。花王ミュージアムの丸田誠一館長は語る。
「お風呂は、“清潔”でいたいという日本人のこころから発達してきました。かつて米のとぎ汁やふのり、石鹸などで洗っていた髪は、シャンプーやリンスでケアするようになる。各メーカーはそんな清潔志向に応えるために、多くの製品を開発してきました」。

 

 それは石鹸やヘアケア用品だけにとどまらない。バブなどの入浴剤も、そのひとつ。さらに、
「浴槽の洗剤も、ポリバスが広まってから、大きく変化しました。木の湯船では、バスマジックリンは使えませんでしたから」。
 昭和60年代以降、給湯器と風呂釜が一体化した給湯器付風呂釜が普及し、たっぷりシャワーが使えるようになる。“清潔”をキーワードに、女子高生たちの間で、登校前の“朝シャン”がブームになる。各社から朝シャン用洗面台が発売され、人気商品になる。

 さらに風呂の進化は止まらない。寒い冬、暖房の効いた部屋から出て、冷え切った浴室に入ることは心臓に負担がかかって健康上よろしくない。だったら浴室をあらかじめ温めておけばよい――。そんな考えから浴室暖房乾燥機も誕生した。洗濯ものは、浴室で乾燥させるようになる。濡れてもすぐに乾く床が生まれ、自宅の浴室でサウナを楽しめる「ミストサウナ」の機能も付く。

 

 浴室は、単に体を洗ったり、洗髪したりする場所ではなくなった。風呂は、音楽を聴いたり、テレビを観たり、ゲームを楽しんだりする“生活空間”に変化した。若者の必需品である携帯電話やスマホも、防水機能を備えて、風呂場で使えるようになった。
 人々が体を清潔にし、休め、心身ともにリフレッシュする空間だった風呂は、わずかこの50年の間に、大きく様変わりした。それは、きっと、私たちの暮らしが豊かになった証しなのだろう。 

〈雑誌『一個人』2018年2月号より構成〉

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