松蔭山光明寺 境内の墓地に眠る伊達政宗ゆかりの人々 | BEST TiMESコラム

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松蔭山光明寺 境内の墓地に眠る伊達政宗ゆかりの人々

季節と時節でつづる戦国おりおり第327回

政宗さまに『会い』にいく。⑧ 

 福島美術館からは、地下鉄南北線を利用。一気に北仙台駅まで移動します。駅から少し歩くと、北山と呼ばれる小丘陵にいくつも寺院が連なっていますので、これを片っ端から巡ります。
 まずは、松蔭山光明寺さん。

 

 こちらには、政宗さんの命令で慶長遣欧使節正使としてヨーロッパに渡った支倉常長の墓(伝)と、同じく副使をつとめたルイス・ソテロの墓とが、語らい合うかのようにほぼ90°の角度で配されています。常永がヨーロッパでどのような歓迎ぶりを受けたかは以前このブログでも記しましたが、帰国後は禁教令のために冷遇され、わずか2年後に死去しています。ソテロは山師的な性格だったとも言われていますが、布教の熱意は本物だったようで、のち日本に密入国を図って捕らわれ、火あぶりの刑に処され、2世紀半後に福者に列せられています。

 境内の墓地には、伊達虎千代丸と大有康甫和尚のお墓も、並んで建っております。

 

 虎千代丸は政宗さんの子・忠宗さんの長男。本来なら仙台藩伊達家三代目を継ぐ筈でしたが、わずか7歳で夭折した悲劇の若子です。「通りゃんせ」の唄の通り、7歳を無事通過できるかどうかが当時の児童保育の一大事で、それまでは神の子、そこで生き延びることができればようやく人間の子という扱いになったのです。

 

 また、康甫和尚は政宗さんの父・輝宗の叔父(つまり政宗さんの大叔父)で、政宗に学問の手ほどきをおこない、あの虎哉宗乙和尚を推挙した人物です。なんでも、仏道修行のため東北まで遊歴していた虎哉に会った康甫和尚がその人となりを見込み、政宗の師たるに足る、と輝宗に紹介したとか。彼の眼力が無ければ、後の奥州王・政宗は誕生していなかったかも知れないわけで、その功績は計り知れないと言えるでしょう。

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橋場 日月

はしば あきら

はしば・あきら/大阪府出身。古文書などの史料を駆使した独自のアプローチで、新たな史観を浮き彫りにする研究家兼作家。主な著作に『新説桶狭間合戦』(学研)、『地形で読み解く「真田三代」最強の秘密』(朝日新書)、『大判ビジュアル図解 大迫力!写真と絵でわかる日本史』(西東社)など。


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