中村憲剛の必殺スルーパスはどう生まれたか? 意識した“ひとつの動作” |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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中村憲剛の必殺スルーパスはどう生まれたか? 意識した“ひとつの動作”

中村憲剛選手12月毎日更新 Q10 中村憲剛選手の代名詞と言えばスルーパス。どうして、あんなすごいパスが出せるようになったのでしょうか?(前篇)

中村憲剛選手の代名詞と言えば、やはり「スルーパス」。どうして、あんなにすごいパスが出せるようになったのでしょうか? お話を伺いました。

“止めて蹴る”ができると、味方が見えるようになった

 もともとはドリブラーだったんですよね。自分で言うのもあれですが、小学生のころまではキュンキュンでしたよ。でも背が低くて、中学生になっても身長が伸びずに、上級生を相手にするとドリブルで抜けなくなってしまったんです。

 そこから、どうやって自分が生き残っていくかを考えて、ドリブルではなくパスに切り替えたんです。だから好きなプレースタイルもカズさん(三浦知良)のようなドリブラー・ストライカーから、ラモス(瑠偉)さんのようなパサー・ゲームメーカーに変わっていきました。

 前の回でも話しましたが、そこから、“止めて蹴る”というプレーを徹底的に意識するようになりました。

 その結果、フリーの状態で“止めて蹴る”ができるようになると、自分のプレーに余裕が出てきて、味方の動きが見られるようになってきたんですよね。もちろん、それ以前から、スルーパスなどのイメージは持っていましたけど、それを自分の技術と体格で具現化できるようになったんです。そこからですね。スルーパスが出せるようになったのは。

 

 今の自分のプレーを形成する根本に、“止めて蹴る”があるように、結局のところは、僕はパスを出さざるを得ない状況だったということなんです。パスが得意な選手にならなければ試合に出られなくなってしまう。だから、そこを伸ばそうと考えた。

 きっかけはいつもネガティブな要素なんですよね(苦笑)。でも、逆に、そうして転換できたからこそ、ここまでやって来られたという思いもあります。もし、ドリブルに固執していたら、きっと途中でつぶれていたとも思うんですよね。

明日の質問は…〈Q11 中村憲剛選手の代名詞と言えばスルーパス。どうして、あんなすごいパスが出せるようになったのでしょうか? (後篇)〉です。

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中村 憲剛

なかむら けんご

プロサッカー選手。川崎フロンターレ所属(背番号14)。

1980年10月31日生まれ。東京都小平市出身。6歳のときに府ロクサッカークラブでサッカーを始め、小金井第二中学校、都立久留米高校、中央大学を経て、2003年に川崎フロンターレに加入。2016年、歴代最年長の36歳でJリーグアウォーズ最優秀選手賞を獲得。プロ15年目を迎えた2017年現在も、チームの中心選手として活躍中。


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