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坂本龍馬暗殺は土佐藩にどのような影響を与えたか

幕末京都事件簿その④

◆刺客の急襲、そして暗殺……事件が与えた影響は

 龍馬と慎太郎がその名刺に目をやった瞬間、襖が開き、突然2人の刺客が飛び込んできたという。そして無言のまま龍馬と慎太郎に斬りかかった。龍馬はこめかみから額にかけて斬られたが、この時の鮮血が掛軸に飛び散っている。一刀目の傷は致命傷ではなく、龍馬は床の間に置いてあった自分の刀( 陸奥守吉行(むつのかみよしゆき))に手をかけた。慎太郎は、貼り交ぜ屏風の後ろに置いた刀を取ろうと敵に背を向けた瞬間、「こなくそ」という気合いとともに後頭部を斬られた。

 刺客の二刀目は龍馬の腰を斬ったが、厚着のため深手にはならなかった。さらに三刀目を龍馬は鞘に入ったままの刀で受け止める。近江屋の奥の八畳間は勾配天井で低くなっていたため、龍馬の刀は天井につかえ、天井を突き破った。刺客の刀も天井に当たったがそのまま斬り下げ、鞘を割って刀身を削り、さらに龍馬の頭蓋骨を割り、脳漿(のうしょう)が吹き出したという。慎太郎も短刀で防戦していたが、両手両足をひどく斬られ、気を失った。刺客は、二人を存分に斬りまくり、「もうよい、もうよい」と言って悠々と立ち去っていった。

 あっという間の出来事で、部屋中が真っ赤に染まり、肉片が飛び散り、惨劇の凄まじさをまざまざと残していた。しばらくして意識を回復した龍馬は、「残念、残念だ」と発し、「俺は脳をやられたからもうダメだ」と言い、気を失った。そして当日または、翌日に亡くなったとされる。

「近江屋事件は土佐藩に大きな影響を与えました。それまで、前藩主の山内容堂(やまのうちようどう)は公武合体による平和的な倒幕を望んで大政奉還を実現させるきっかけを作りましたが、藩内は龍馬暗殺への怒りが増大し、武力による討幕へと、藩意が変換したと考えられます」と木村さん。

「倒幕」から「討幕」へ。近江屋事件は、和平ではなく、武力で幕府を討つ戦いへと、つながっていく転機となった。

〈雑誌『一個人』2017年12月号より構成〉

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木村 武仁

きむら たけひと

1973年京都府生まれ。霊山歴史館(幕末維新ミュージアム)学芸課長。専門は幕末・明治維新期における思想史と政治史。著書に「ようわかるぜよ!坂本龍馬」(京都新聞出版センター)、「図解で迫る西郷隆盛」(淡交社)。


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