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推古朝の実権を握っていた、真の実力者は誰なのか?

女性天皇君臨の系譜の謎②

 では実像はどうだったか。当時まだ後世の君主権を代行する摂政は未成立で、皇太子という立場も確立していない。しかも『日本書紀』には推古天皇が君主として行動しているさまが記されている。だから、聖徳太子が国政の実権を握っていたとまで見ることはできない。

 ただし、憲法十七条について『日本書紀』は太子が「親ら」作ったと伝える。この憲法は『上宮聖徳法王帝説』にも記事があり、その実在を疑う必要はない。しかもこれは冠位十二階の施行とつながっているから、冠位の制定にも太子はかかわっていただろう。
 その上、新羅との関係が悪化した時、新羅遠征軍の将軍に聖徳太子の弟たちが任じられている。これは太子が外交方面にも影響力をもっていたことを示す。それは、遣隋使の最大の目的が仏教の受け入れにあった点からも裏づけられよう。太子がわが国の仏教の発展に絶大な貢献をしたことは、よく知られている。『隋書』に描かれている隋からの使者に対面した人物も、太子だった可能性が高い。

 こう見ると、『上宮聖徳法王帝説』に推古天皇のもとで聖徳太子と蘇我馬子が「共に天下の政を輔く」とあるのが、当時の実態に近いだろう。

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高森 明勅

たかもり あきのり

1957年、岡山県生まれ。歴史家・神道学者。拓殖大学客員教授、防衛省統合幕僚学校講師などを歴任。現在、日本文化総合研究所代表、國學院大學、麗澤大学の講師。著書に『歴史で読み解く女性天皇』(小社刊)、『二本の10大天王』(幻冬舎)など。


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