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「オタキング」岡田斗司夫は20代をどう生きたか?

『カリスマ論』 著者:岡田斗司夫インタビュー

1980年代初頭の大阪芸術大学を舞台に、マンガ家、アニメーター、映像作家などなど、今を時めくクリエイターたちが"まだ何者でもなく、熱かった日々"を描く島本和彦の自伝的マンガ『アオイホノオ』。本作で庵野秀明らとともに自主アニメの制作に明け暮れるのが、のちの「オタキング」こと、若き日の岡田斗司夫さんだ。20代をどう過ごし、どう仲間を集めたのでしょうか? 

―岡田さんの20代は1978〜87年。ざっと振り返ると、どんな10年間でしたか?

 

岡田 大学に入り、その後上京してガイナックスという会社(『新世紀エヴァンゲリオン』などの制作で有名)を起こし、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』という映画を作るまでが僕の20 代ですが、やることが多過ぎて自分でもよくわからなかったですね。とりわけ20代の前半は、やりたいことが多くて困ってました。とにかく、時間が足りない。寝る時間がもったいないから、洋服を着たまま床に就いて。朝は1分以内に外に出る。年中、そんな毎日。今の20代の人は『何をするのが正しんだろう? 何をやれば間違えないか?』なんて、僕が30〜40代になってようやく気づいたようなことをよく言いますが、どうすれば効率がいいか、上手くいくかなんて考えもしなかったですね。

―23歳の時に「第20回日本SF大会(通称:DAICON3)」を主催します。

岡田 何かアクションを…と言うと、就職に向けたビジネス活動か何かに聞こえますが、全然、そういうんじゃなくて。将来やりたいことをやるために、今のうちに何かやっとかなきゃっていう。それでSFやアニメのイベントを開いたり。赤字続きでしたけど、今思うと、アマチュアだった20代半ばくらいまでが、いちばん楽しかったな。

―伝説のオープニングアニメ(『アオイ〜』にも登場!)を自主制作し、観客の度肝を抜いたのが、そのDAICON3です。

岡田 OPアニメは、やりたいことのひとつで。ほかにも特撮作品も作り、イベントをやり、翌年の準備もしながら後輩の養成も行い、全部で5〜10個のプロジェクトを同時進行させていて。実家暮らしだからできたんですけど、24歳で結婚するまでは、そういう感じで寝ずに走り続けてはいましたね。

―パソコンのある今ならまだしも、当時あのクオリティの自主制作アニメを作ることは画期的であり、同時に大変な苦労も。

岡田 『アオイ〜』でも描かれていましたが、やると決めたはいいけど、庵野をはじめ何日も寝ないで、風呂にも入らず…。そう思うと、今の20代は遊び過ぎ! そんなに楽しんでたら将来、おもしろくないよと言いたい。お菓子食べ過ぎたら、ご飯が美味しくないじゃないですか? それと同じです。"お菓子系男子"って言うんですけど。

 ―『アオイ〜』を見ていると、当時の熱量がすごい。うらやましくも感じます。

岡田 そういう人間って勝手に集まっちゃう。20代の人は、まず仲間を作ろうとしますが、やりたいことをやってたら集まって来るのが仲間であって。単につるむだけであれば、それは友達! 目的や志が同じであればよくって、仲良しかどうかなんて二の次なんです。プロジェクトを進めるには、そういう仲間しか信じちゃダメだし。庵野なんかがその最たる例だけど、やりたいことのためにどれだけ没頭できる人間なのか? 寝食や楽しいことを犠牲にしてでも一緒にやっていけるのが仲間だと思うんですね。

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岡田 斗司夫

おかだ としお

1958年大阪府生まれ。社会評論家。

1984年にアニメ制作会社ガイナックスの創業社長をつとめた後、東京大学非常勤講師に就任、作家・評論家活動をはじめる。立教大学やマサチューセッツ工科大学講師、大阪芸術大学客員教授などを歴任。

2010年に「オタキングex」(現FREEex)を立ち上げる。レコーディング・ダイエットを提唱した『いつまでもデブと思うなよ』(新潮新書)が50万部を越えるベストセラーに。

その他、多岐にわたる著作の累計売り上げは250万部を越える。

近著に『カリスマ論』(ベストセラーズ)がある。


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  • 岡田 斗司夫
  • 2015.11.07