Q. ですがやはり、日本人の本質こそ「無欲」「無私」であると考える人も多いと思うのですが……。この認識のルーツはどこにあるのでしょうか?

古谷 本書にも書きましたが、いくつかのスキームがあると思います。そのうちのひとつが、「農耕民族史観」です。

日本人は稲作の民である。稲作(農作業)というのは、共同作業で一人ではできない。だから、日本人は非常に協調性があり、あまり自分の欲を出さず、決まりをきちんと守る。

このように、「農耕民族は、温和で、無欲で、平和的である」というイメージをみなさんもなんとなく持っていると思います。そして、「日本人は農耕民族で、欧米人は狩猟民族」とする対比もよく聞かれます。

おそらく、「明治維新前は家族のような農業社会で、それが維新後に工業化した」という共通認識が根本にあるのでしょう。しかし、この認識も事実に反します。そもそも日本には、林業や漁業、交易など農業以外の職業が古くからありました。それがなぜか、「日本は農業国だった」とみな思っている。それは、ちょっと歪んだ見方ではないでしょうか。

 

Q. 本書には、社会学者の古市憲寿さんとの対談が収録されていますが、古市さんとお話して何か印象に残ったことがあれば教えてください。

古谷 古市さんとは、鼎談という形を含めると二回目の対談だったのですが、まずとても繊細な方だなと思いました。それに、考えの筋道みたいなものが、僕とそんなに遠くない。 

ただ唯一対立したのは、リニアモーターカーについての考え方でした。詳しくは、本書を読んでいただきたいのですが、実はこれは深い問題だと思っています。「リニアを肯定するか、肯定しないか」というのは、「工業社会の物欲を肯定するか、肯定しないか」という問題と同じなんです。

僕はリニア賛成派です。今まで大阪まで新幹線で3時間弱かかっていたのが、1時間に縮まる。それは、一種の「人類の夢」だと思うんです。対して、リニア否定派は「3時間弱が1時間になったからって、だから何なんだ」「時間を短縮するために何十兆と使って、自然をガンガン削ってどうするのだ」などと言う。この問題で、彼と賛否が分かれたことは、とても印象に残っていますね。

 

Q. 今後また、「若者論」「日本人論」で著述されるとしたら、どのようなテーマで書かれますか? あるいは、次回作の構想があれば教えてください。

 

古谷 構想というより、いつも思っていることなんですが、人間というのは自分が見たいものしか見ない。自分にとって、都合のいいところだけを持ってくる傾向が強い。そして、そういう観念やイメージで、若者や日本人を語りがちです。そういうことに対して、「それは違う!」と訴えることを続けていきたいと思います。

データを盲目的に信じるわけではないですが、データはデータとして、ある種の真実を可視化してくれます。例えば、内閣府などの統計には、我々一般大衆の“感覚”が反映されていると思うんです。

そういう一般大衆の普通の、当たり前の感覚を無視して、周囲の人間だけを見て例えば「日本人は“右傾化”している」などと言っても、それは正確な若者論・日本人論ではないと思います。日本人は右にも左にも、別にどちらになってもいないですよね。

かつては「学生運動」などもありましたが、当時もそういうのに参加せずに普通に暮らしている人たちのほうが多かった。

僕はまだ、日本には“普通”があると思っています。ですから、その「普通の感覚」で、変な流行に流されず、狭小的なイメージを覆していくということを今後もやっていきたいのです。

 

Q.最後に、読者にひとことお願いします。

古谷 マスコミなどがつくった「○○離れ」や「○○系」というものに、安易に自分を置かないでほしいと思います。モテようがモテまいが、物欲があろうとなかろうと、他人がつくったカテゴリーに自分をあてはめる必要はありません。

自分の境遇と照らし合わせて、「俺って、確かに草食系だよな」というふうにあてはめることは、お墨付きをもらっているようで安心するかもしれません。でもそうしているうちに、どんどん変なスパイラルに陥っていく……。

だから僕は、普通に、素直になったらいいと思います。素直になれば、みな欲望があるはずですし、それがかっこ悪いこととだとは思わない。それを「かっこ悪い」と言う人がいるとすれば、その人は実は裕福な人なんです。だから、そういうことを気にする必要もない。

『欲望のすすめ』という本を書きましたが、「ありのままでいい」いう今流行りの話にもなっていると思います(笑)。