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KKコンビの真実 怪物清原が唯一認めた怪物とは?

Numberが選んだ甲子園の怪物たち-2

怪物は敗者の記憶に鮮明に残る

 KKコンビの章でもうひとつ印象深いのは、やはり鈴木さんが執筆した“「清原と勝負」を命じた幻の伝令”という一文。これは甲子園ではなく、1994年夏の大阪大会決勝、PL学園と大産大高の一戦の物語だ。
 2点リードされた大産大高は、8回1死2塁という場面で清原を迎える。そこで、大産大高の山本泰監督は、このチームとなってからの3年間で初めてとなる伝令を出し、「わかっているな」と伝えた。もちろん、監督の意図は「清原敬遠」だった。
 ところが、伝令は勝負だと思ってバッテリーにそう伝えてしまい、なんと清原と真っ向勝負する。結局、初球をホームランされ、大産大高は悲願の甲子園初出場を逃してしまうのである。

「取材して驚いたのは、当時の大産大高の選手たちが清原さんをまったく恨んでいないことでした。あのときの大産大高は、甲子園に行けるぐらいの実力があった。彼らは、清原さんのせいで青春が終わってしまった人たちなんです」(鈴木さん)

 しかし、当時の大産大高関係者は恨みがましいことを言わないばかりか、清原の打球が飛んだ場所など、細かな状況まで全部よく覚えていたという。

「それから30年が経ち、清原さんと真っ向勝負したことが人生においてよかったと清々しい笑顔で話してくれる……。ああ、清原さんってそういう人なんだと思い、そこから清原さんに興味を持ったんです」(鈴木さん)

 対戦したライバルたちの人生に影響を与え、数十年が経った今もその記憶のなかで鮮明に生き続ける。まさに清原が怪物たるゆえんだろう。

 大産大高の取材で清原に興味を抱いた鈴木さんは、その後、清原が甲子園で放った13本のホームランの対戦相手全員の話を聞くために飛び回る。

 その記事は昨年夏の『Number』の甲子園特集号、清原を表紙にした「甲子園最強打者伝説。」で発表された。清原のスキャンダルが世間を騒がせた後だっただけに、この号が大きな注目を集めたのは記憶に新しい。
 さらに、雑誌を見た清原が鈴木さんの携帯に自ら電話をかけてきて、「ありがとうございました……」と感謝の気持ちを伝えたエピソードも話題となった。

「電話がかかってきたのは、清原さんに打たれた投手たちの追加取材をしている最中のことでした。やっぱり、当時甲子園で戦った人たちがあれだけ話してくれたので、どうしても清原さんに記事を読んでほしかった。だから、発売後、僕の名刺を入れて雑誌を清原さんの弁護士に送っていたんです」(鈴木さん)

 この記事は、原稿用紙に換算して50枚という『Number』の歴史のなかでも屈指のボリュームだった。これに大幅に加筆して誕生したのが、これも話題となっている『清原和博への告白 甲子園13本塁打の真実』だ。同書は発売後に増刷を重ね、現在ベストセラーになっている。

 ちなみに、装丁の金属バットは、1985年夏の決勝戦、PL学園と宇部商の一戦で清原が12号と13号を放ったときに使用した本物。騒動後、甲子園歴史館の倉庫の奥に追いやられていたものを出してもらい、撮影したものだという。

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