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【緊急事態宣言下の感染管理】知性に対する信頼があるからこそ、ヒューマニティーに対する信頼の土台が生まれる《岩田健太郎教授・感染症から命を守る講義㊽》

命を守る講義㊽「新型コロナウイルスの真実」


 なぜ、日本の組織では、正しい判断は難しいのか。
 なぜ、専門家にとって課題との戦いに勝たねばならないのか。
 この問いを身をもって示してたのが、昨年2月、ダイヤモンド・プリンセスに乗船し、現場の組織的問題を感染症専門医の立場から分析した岩田健太郎神戸大学教授である。氏の著作『新型コロナウイルスの真実』から、命を守るために組織は何をやるべきかについて批判的に議論していただくこととなった。リアルタイムで繰り広げられた日本の組織論的《失敗の本質》はどこに散見されたのか。敗戦から75年経った現在まで連なる教訓となるべきお話しである。


■知性を信頼する

 

 日本社会では、ぼくたち専門家は「派閥」として使われてしまうことがとても多いのです。典型的にいうと「自民党側か野党側か」とか、「厚労省シンパか厚労省アンチか」みたいな、つまり道具として使われてしまうんですね。

 専門家の持っている本当に大事なものは知識そのものなのに、専門知に対する軽蔑があるから、専門家は単に利用する道具にすぎないと思われてしまっています。

 専門知に対するリスペクトのなさから、例えば大学の予算がどんどんカットされる事態にもなっているし、学問をするとか専門性があるということはどうでもええんや、みたいな空気にもなっています。

 この知性に対する軽視、言い換えるならば反知性主義は、日本独特の現象ではなく、むしろ世界中、例えばア メリカのような国でも強く起きている現象です。

 反知性主義は「知性があるのは悪いことだ」、あるいは「知性はヒューマニティーの敵だ」という印象を拡げようとします。その結果「メガネをクイッとやってる、血も涙もないサイエンティスト」みたいなのが知性のイメージになっている。

 でも、知性を排除してしまうと、跡にはアンチヒューマニズムしか残らない。それが理解されていないことが 、とても大きな問題なんです。

 かつて、ハンセン病の患者さんが療養所に隔離されていた時代がありました。あのときに患者さんたちを隔離したものは知性ではなく、情動でした。

 ハンセン病を起こすマイコバクテリウム・レプラエ、すなわちらい菌は、他人に感染することなんてほとんどないのです。だから隔離なんかする必要は全くない。知性はそう言います。

 でも、らい菌は温度が低いところに行くので、指の先や鼻や耳に集まります。そうするとそこが病変をつくっ て、指がもげたり顔の形が変わったりするわけです。そういう人たちを嫌ってみんなが差別する。松本清張原作 の『砂の器』という映画が描いたように、村から追い出して、コミュニティから排除する。

 そして、排除を正当化するために療養所を作って隔離したわけです。医学的に感染を防止するために隔離するんだっていうわけですけど、本当は感染なんか防止していなかった。

 一方、結核という怖い病気があります。結核菌は空気感染しますから、ハンセン病なんかよりずっと感染性が高い。

 一方で、結核の患者さんって、見た目は全然非感染者と変わらない。いや、体重が減って、貧血で顔が青白くなって、むしろ見た目が良くなったりする。だから、宮崎駿監督の『風立ちぬ』やトーマス・マンの『魔の山』なんかが典型ですが、結核文学にはたいてい美しい人ばかりしか登場しません。

 結核は見た目きれいだけれども感染力は強いから、科学的には隔離しなくてはいけない。だけど、人々が科学ではなくて情動で動いたから、ハンセン病の患者さんは歴史的に疎外の対象になり、結核の患者さんは近年に至るまで隔離されてこなかった。

 自分の気持ち、人間の感情が正しいという根拠はどこにもないから、感情任せに倫理をつくると失敗するし、 アンチヒューマニズムになって、根拠もなく人を差別したり疎外したりする。そこを理解しないといけない。

 感染症の世界では、そのような歴史が何度も繰り返されてきました。ペストのときもそうだったし、結核でもそうだったし、ハンセン病もそうだったし、エイズのときもそうだった。感染症はずっと、差別の正当化のために利用されてきたわけです。

 「エイズの患者さんがいようが、コミュニティは全然困らない」というのが科学の言うことなんだけど、人間の情動は「そんな人はここにいてもらっては困る」と言わせたがる。そして情動を正当化するために、反知性的な 「万が一、何かがあったらどうするんだ!」みたいなことを言うわけです。

 知性に対する信頼があるからこそ、ヒューマニティーに対する信頼の土台が生まれるのであって、知性を軽視 、軽蔑しているところに、真のヒューマニティーはありえない。

 そして、知性に対する信頼があってこそのヒューマニティーだということが理解できれば、専門知を軽蔑する なんて、絶対にありえないことなんです。

「新型コロナウイルスの真実㊾へつづく)

 

 

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岩田 健太郎

いわた けんたろう

1971年、島根県生まれ。神戸大学大学院医学研究科・微生物感染症学講座感染治療学分野教授。神戸大学都市安全研究センター教授。NYで炭疽菌テロ、北京でSARS流行時の臨床を経験。日本では亀田総合病院(千葉県)で、感染症内科部長、同総合診療・感染症科部長を歴任。著書に『予防接種は「効く」のか?』『1秒もムダに生きない』(ともに光文社新書)、『「患者様」が医療を壊す』(新潮選書)、『主体性は数えられるか』(筑摩選書)など多数。


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